私のせいでばあ様が転倒してしまった。結論を先に言うと、病院でレントゲンを撮った結果、骨折はなかったらしく、打撲の痛み止めをもらって帰宅した。
0時ごろ、ばあ様がトイレに起きた。その後ベッドに戻れば、ベッド脇に置いてある離床マットを踏むので、台所に置いてある無線の親機が鳴るのだが鳴らなかった。これは、冷蔵庫を開けて食べ物を探しているのだなと思い、部屋をこっそり覗いたところ、案の定、口をもぐもぐさせながら、冷蔵庫を覗き込んでいた。今晩二度目であった。一度目は、10時過ぎに電気を消して寝たと思ったら、また起きて夕食の残りを食べていた。お腹が空いているのなら、とバナナを半分切ったものを持って行った。結局まだ眠くなかったらしく、バナナを食べながら、新聞を読んだ。歯磨きをきちんとさせたいと執着している私は、「食べたら磨いてよ〜」と殺菌する洗口液を用意し、ばあ様も素直に従った。
0時過ぎにまた食べてる姿を見たとき、「また〜?」と少しイラついた。今日はなんでこんなにお腹が空いてるんだろうと思いつつ、またバナナを半分切ったものを用意した。部屋の電気は豆電球(というのか。黄色い小さい電気)しかついておらず、薄暗かった。冷蔵庫に集中しているので、突然私が近づいたら驚くと思い、耳の遠いばあ様にも聞こえるように大きな声で「お腹すいたん?」と声をかけた。「え?」とばあ様は振り向き、その直後、「あっ」と言って、体の左を下にして倒れた。半分閉めてあった障子に左の眉の上あたりをぶつけ、倒れこんだ。
私は悲鳴をあげ、走り寄った。「ここが痛い」と額を押さえるばあ様。赤くなっていた。横座りの状態でしばらく額を押さえていたところへ両親が来た。ゆっくり姿勢を変えさせ、足に異常がないか確認。動かすことに支障はないようであった。祖母は「大丈夫、大丈夫」と言い続けるのだが、大腿骨を骨折したときだってそう言っていたらしいのだ。転倒したときに左手を強くついたので、親指の付け根が青く内出血していた。とにかく冷やそうと、母に保冷剤をタオルでつつんだものを二つ用意してもらった。
床に座り込んだままでは寒いので、父が後ろから抱えあげて立たせたところ、ふらふらするものの歩いてベッドまで行った。座ると、左の上腕部や左脇も痛いと言い始めた。肋骨が折れていては大変だと、救急車を呼ぶことにした。
「骨が折れてたら大変だからレントゲン撮ってもらいに行こう」と言うと、最初は必要ないと言っていたが、レントゲンは痛くないから大丈夫、と言うと、「寒かったらいけんから、厚いカーディガン出して」と行くつもりになってくれた。そして、「電気アンカの線を抜いといて」としっかりしている。こういうところは、長年一人暮らしをしていたからなのだと思う。寝る前や出かける前には、必ずファンヒーターのコンセントも抜く。
救急車は5分も経たないうちに来た。3人の救急救命士の男性が来てくれ、リーダーの人がばあ様を診る。左手をグーパーさせ(問題なくできた)、万歳をさせ(ゆっくりできた)、深呼吸をさせて聴診器を当てた。左手・腕の骨折はないようであるが、肋骨の骨折が心配だということで、病院に搬送ということになった。実にてきぱきと、そしてやさしく診てくれた。少し若い2人の救命士もすぐに担架を用意し、とにかく手際が良い。
両親を私3人は同乗できないということで、私は家に残った。「行き先が決まってから出ます」とリーダーの救命士がそのとき言ってくれたというのに、気が動転していた私は、搬送先の病院はあとで両親に電話してもらってからタクシーで行こうとした。自分はcomposedな方だとおごっていたことが恥ずかしい。両親と一緒に外に出て、搬送先が決まったことを救命士に確認してからすぐにタクシーを呼べばよかったのである。それを家の中で、そわそわとばあ様の部屋を片付けたり、あの時私が話しかけなかったら、と後悔して泣いてみたりと見事な役立たずぶりであった。しばらくして少し落ち着き、もしばあ様が入院することになったら、と身の回りのものをかばんに入れながら、そうか、やはり一人は家に残っておけば、こういう作業ができるのか、と気づいた。
人工股関節の手術をした病院に連れて行ってくれるのがベストだが、救命士の人は約束はできないとのことであった。しかし、1時間後、父が電話をしてきたのはその病院からであった。カルテがあるところで診てもらえて良かった。医師も看護師もみな大変親切だったそうだ。色々なところのレントゲンを撮ってくれ、打撲のみという診断がおりたらしい。股関節については、主治医の診療日に改めて診てもらうこととなった。帰りはタクシーで帰宅し、表の階段も父に介助されてゆっくり上がってきた。少し安心したが、主治医に診て貰うまで心配するのが私の性格である。
祖母は、夜中にこんなことになって少し興奮していたが、お茶を少し飲んで落ち着いたようで、「もう2時過ぎじゃない!」とベッドに入った。普段、左を下にして寝ることが多かったので、つい癖で同じ姿勢を取ろうとし、痛みに顔をしかめていた。
転倒した原因だが、ばあ様は夜中にものを食べているのを見つかったので、あわてて動いたのだと思う。以前も夕食後に食卓に座って何かを食べていたときに私が部屋に入ったところ、咄嗟に食べ物を隠したことがある。別に食べることは全然かまわないのだが、歯磨きをせずにそのまま寝てしまうので私はうるさく注意していたのである。食べていることに罪悪感を覚えさせないよう、こちらが食べ物を用意して行けばいいと思い、バナナを持っていったのだ。しかし夜中に私が入ってきて驚いたのだろう。急に動いて、食卓の下に敷いてあったラグに足を取られたらしく、転倒してしまった。余計なことをせず、見守っていればよかったのだ。歯磨きをさせねば、虫歯を作らせないようにせねば、とうるさく監視しすぎた。もっとうまくタイミングを見て声をかければよかったのだ。
今まであのラグに引っかかったことはなかったので油断していた。足元が寒いというから、そのままにしておいたのだ。大体、転倒したらいけないからとスリッパも撤去していたものの、なぜ隠すのか、いじめるな、と泣いて訴えたのでスリッパも以前のように履かせている。ころびにくいという高齢者用のスリッパも使っているが、食卓のある板の間では、以前履いていた普通のスリッパを好んで履いていた。転倒の可能性はどうしたってあるとはいえ、もっと対策をきちんとしておくべきであった。自分でも「大丈夫と思っとっても、体が言うことをきかんようになっとるんよねえ」と言う。「あたしが急に声をかけたから、びっくりしてころんだんよ。ごめんね」と言うと、もう詳しい状況は忘れてしまっており、「違うよ。私がいやしんぼをしようとして冷蔵庫まで行ってころんだんよ」と言う。食事の時間以外にものを食べることをばあ様は「いやしんぼをする」と言う。
その後、ベッドに入ってから何度かトイレに起きているばあ様だが、ころんだことはすっかり忘れていたり、おぼろげに覚えていたり、と記憶にむらがあるようだ。左腕を押さえながら、「なんで痛いんかね」と聞いたり、別のときには「ころんだのは熱があったから?」と聞いたりした。歩くときにふらついていたので介助して連れて行った。トイレの中に入れば手すりがあるので「もう大丈夫」と言い、一人で問題なかった。昨日までは、夜の見守りはもう必要ないと思うなどと私は両親に報告していたというのに、自分を殴りたい。
骨折していなくて良かった。でも私の気分は落ち込んだままである。