あたしは心配性過ぎ。幼稚園のときからそれは自覚している。
病院を出て帰宅するまで、ああすればよかった、こうすればよかった、と一人反省会である。看護師さんが色々やってくれるんだから任せておけばよいのだが、看護師さんがわかりやすいようにコップをあそこにおいておくべきであったとか、色々考えてもだえている。
ばあ様は、一つ一つの会話はきちんと意味が通っており、むしろ知的でウィットのあることを言うのであるが、言ったさきから忘れて、同じ話の繰り返しが以前よりも激しい。入院中の認知症を進ませないためには、家で使っていたものを病室に置いて、安心させるというやり方があるらしい。お湯のみはいつものを持ち込んでいるが、他にもバッグとかカーディガンを見えるところにかけておくよう母に頼んでおいた。
今回のばあ様の大腿骨頚部骨折というのは、高齢者、特に女性に多いらしい。それに、激しくころんだりせずとも、こんなことで骨折するかい、というような軽い衝撃で折れてしまうことがあるんだと。女性は骨粗しょう症になる確率が高いので、骨折も起こりやすいんだとか。
私も骨密度が低いと言われたことがあり、一時期はまじめに散歩をしてカルシウムを取っていたのだが、ここ数年はすっかり怠惰になって何もしていない。改めねば。
寝たきりの状態でいると認知症が進むということもあるらしく、それもあって手術後すぐに立ったり座らせたりするらしい。今日は、車椅子で院内の散歩をしたとか。外にも出たらしい。こんな広い病院だったんですねえ、と驚いていたらしい。夜、私が訪ねたときは、「私は今日、外に出んかったかいね?」と聞いてきたので、おぼろげに覚えているのだろう。脳の刺激になっているようだ。
ばあ様は、怪我をしていないほうの脚に血栓予防のためのサポートソックスを履いておかなければならないのだが、「ぎゅーっときついっ」と嫌いなようである。まあ、気持ちはわかるが、履いておかないとだめよ、と何度言っても、いつのまにか自分で脱いでいる。おまけにご丁寧にリボンのようにベッドの手すりに結んであったりする。「あ〜、だめよ、履いてないと」と渡すと、「なんのために」と聞かれ、同じ説明を繰り返すわけである。「だって、きついんだもの〜」と言いつつも、寝たまま履くほうの足を垂直にあげ、自分で履く。看護師も「おおお、あがるあがる」と笑うくらいである。なつかしの「ちょっとだけよ」の姿勢である。こんなに動くんなら、ソックスは履かんでもいいかもしれんな、と思うことがあるが、履いたほうがいいんだろう。
結局、手術した脚以外は非常に動く体力も柔軟性もあるので、可哀相だが拘束ベルトをしなければならないのだ。あの調子なら、ベルトがないとベッドから自分で降りようとするだろう。手術をしたことを忘れていることが問題なのだ。認知症がなければ、ベルトはいらんでしょ。このベルトが背中にごつごつと当たって不快だと今日は不機嫌であった。タオルやクッションを敷いてみたのだが、気に入らないようであった。じき忘れるとは思うのだが、やっぱりなんだか可哀相だった。
まだ本を読む元気はないといい、雑誌の絵をぱらぱらとめくって見るくらいである。編み物は無理だな。私も左の中指が痛くてここしばらく編み物をしていない。ちょっと私こそ病院いったほうがいいのかもというくらい、結構痛い。引き戸の窓が閉められないのよね。私が編み物を持っていって、「ちょっとここ教えて」などというのもいいかなと思ったのだが、これ以上私の指が痛くなっても困る。やりかけのものが二つほどあるんだが。ばあ様に仕上げてもらおうかいな。