ばあ様は内閣総理大臣広島市長から、百歳のお祝いをもらっている。それぞれからのお祝いの言葉を記した賞状と、総理からは寿の字の入った銀杯、市長からは木製の壁掛け時計と金一封。
賞状は、床の間に裏側にして置いてある。「早く死ねと言われている気分になるから見たくない」と言う。あの人らしいわー。自分は百年も生きてきたとは全然思っていなかったらしい。「やっと90を過ぎた頃かと思うとったのに」と不満そうである。
銀杯も床の間に飾っていたらしいのだが、私が部屋に入ったときにはなかった。「銀杯見せてよ」と言うと、「銀杯?」と一切記憶にはなかった。説明すると、「捨てるわけないね。でも全然覚えてないよ。」と、二人であちこち探した。「まさか、冷蔵庫に入れとりゃすまいね」と本人が言うので、チェック。あったらおもしろかったが、無かった。結局、サイドボードの棚の奥の方に箱に入れたまま置いてあった。
開けてみせると、「あら、きれいじゃない」と言い、サイドボードに飾っていた。数時間後に薬を渡しに部屋に行ったときには、無かった。サイドボードの棚にも無い。また片付けてるーと思い、ばあ様がお風呂に行った隙に探してみたら、サイドボードの開きに箱のまま入れてあった。気まぐれな年頃。
人様から頂いたものにケチをつけるのは品が無いことは十分承知しているのだが、言わせていただく。市長からの木製の時計がねえ、とても年寄り向けのギフトとは思えない、カントリー調なのである。「これは、若い人が使ったらいい」とばあ様は両親に渡したそうな。両親もこういうものは趣味ではないし、箱に入ったままである。それになんといっても、何時か見えにくいのである。これを選んだ人は、高齢者と日常を過ごしたことがない人に違いない。数字ではなく、細いこげ茶の木が各時間の印になっている。白地に黒く大きな数字で時間を印した壁掛け時計を既にばあ様は持っており、それが「よう見える」とお気に入りである。あ、今、親に聞いたら、この時計は福祉施設の人たちが作ったものらしい。ちょっとごめん。でも、せっかく作ってくれるんなら、指導する人がもうちょっと高齢者に配慮したデザインを考えてくれるといいんじゃないでしょうか。
今年は、百歳になる人が数百人いると、贈り物を持ってきてくれた区役所の人が言っていたらしい。特に珍しいことではなくなったんだわねえ。今、調べてみたら、なんと220人の人が今年百歳になる・なったらしい。広島市だけで220人とは。うち、女性は193人。百歳以上の人は、620人いるんだとか。最高齢は111歳の男性お一人。数字を見て、親に、「ちょっとぉ、どうする?」と言ってしまった鬼孫の私。