M先生のことでここまで影響されるとは、自分でも思っていなかった。2005年に連絡のやり取りが一度あって以来、今まで彼のことをしょっちゅう考えていたわけでもないという程度の存在であったはずなのに、いざ先生がもうこの世にいないと知ると、喪失感と寂しさに茫然としてしまう。

頭の中は、彼と親しくしていた27年前のことでいっぱいである。だが、私が覚えたいように覚えている思い出なので、美化しているところもあるかなと思う。

斎場のサイトに故人の葬儀に関するページが設けられ、誰でもメッセージを残したり、故人の写真をアップロードして共有したりすることができる。ネットというのは、こういう使い方もできるのね。生徒だった人からのメッセージで、「先生は、先生であると共に友達であった」と書いている人が複数いて、そうそう、そういう人なのよね、と嬉しかった。

フェイスブックにも、遺族や友達が作ったメモリアルページがあった。私はフェイスブックに登録はしていないが、写真とコメントは見ることができた。子供の頃や若い頃の写真もたくさんあり、その可愛さ、いい男っっぷりに画面を見入ってしまったよ。私の知っているM先生には口髭があったので、ない顔を見せられても誰かわからない。あの口髭とおしゃれとは言えなかった髪形は、女生徒に騒がれないための変装だったのかっ!と思った。それとも、似合うと思ってやってたんだろうかって故人に失礼過ぎだ。もう、ここに載せたいくらいの美青年ぶりなのだが、本人と遺族のプライバシーを尊重するわ、当然。

大学2年のときくらいに疎遠になってしまった。People move onで、悪気がなくとも疎遠になってしまうということはあるものだが、一年に一回でも連絡を取るようにすれば良かった。

もう一度会いたかったよ。

2月にPと結婚したとき、Pの会社の人がお祝いにドンペリニョンをくれていたのを昨日開けた。最初の乾杯はPと私のために、二回目の乾杯はto honor Mr. M's lifeにした。

私は特定の宗教を持たないし、天国とか死後がどうとかということを真剣に考えたことがないのだが、先生のobituaryに"(he) went back to be with the Lord"というのを読んで、何か慰められる気がした。

もし、私が死んだ後にまた先生に会えるとかそんなことがあるんであれば、楽しいかな。先生、実は美男子だったんだね!と声をかけたいって、そこかい。