徘徊する認知症患者をテレビで見たばあ様。

「私がああなったら、太田川に捨ててね」

オッケーです。

幸いにもばあ様にはその兆候はない。入院していたときは、おかしなことをしたり言ったりしていたので、これはもう覚悟しておいた方がいいかと思っていた。しかし、あれは入院時のせん妄だったようで、帰宅したら落ち着いた。ただ、大腿骨を折る前のように一人で階段を降りようとしたりするのには困った。折ったことを忘れているので余計困る。
最近は、「どうしてこう足がヨタヨタするかね」と言う。庭いじりが好きだったものの、自分で何かをしようとはもう思わないらしく、窓から見るだけである。家にいるときは、もっぱら新聞か本を読んでいる。

朝昼の食事は母が用意してばあ様の部屋に持っていき、夜は配食サービスを利用。最初はそのままお弁当箱のまま出していたものの、それでは味気ないだろうということで、それぞれのおかずを小鉢に入れ替えて温め直して出している。これは父の仕事。電子レンジでの温め技術にこだわりがあるらしく、おかずをのせたお皿の下に、少量の水を入れた別のお皿を敷き、乾燥した出来上がりにならないようにしている。
食後の食器はばあ様が自室のキッチネットで洗う。疲れた顔をしているときなど、「洗おうか」とトレイごと持っていこうとすると、「いーえっ、それくらい洗わんでどうしましょうや。ばちが当たる。」と絶対に自分で洗う。こういう風にできることは、どんどんした方がいいらしいので、洗ってもらう。ま、ちゃんと洗えているかちょっと確認が必要なこともあるんだが。

先日、市役所から電話があったらしい。今年100歳なので、市からお祝いをしたいのだが、どういった日々の暮らしをしているかお伺いしたいというものだったと母。市長か副市長か代理の人が家まで来てお祝いをするというのが恒例らしい。

簡単にばあ様の様子を説明して電話を切った母だが、あとで父とも話し、「あんまりおおごとにしない方がいいような気がする」ということで合意したらしい。何しろ、本人は90を過ぎていることは気付いているが、100歳になるとは思っていない。新藤兼人さんが100歳で亡くなったというニュースを聞いたとき、「その年じゃ無理もない」と言ったばあ様である。自分も100だと市役所の人にわざわざ家まで来てもらって伝えられた日には、その後の精神状態が心配である。まあ、忘れる可能性も大ではあるが、非日常なことは結構覚えていたりするのである。「今日、誰か来たよね」とか。
誕生日が近づいて、役所から電話があったら、お気持ちだけいただいておくと伝える意向らしい。私もそれでいいと思う。ばあ様は、「100歳、まだまだこれから!」とテレビで見るような前向きで明るい年寄りではない。心配性で気が小さい。

川に捨てろとか、おもしろいことは言うけどね。