ある建物のトイレに入ったときの話。廊下の突き当たりにW.C.と書かれたドアが2つあった。個室のトイレで、Pと私は同時にそれぞれのドアを開けた。入ると、一方の壁に大きな鏡が設置してあり、身なりを整えるスペースになっていた。トイレはその奥にさらにドアを隔てて位置する作りである。鏡の前の棚にかばんを置いていると、隣の個室でPが何かを言っている。ドアを開けて「何?」と聞き返すと、「そっちにも鏡があるだろう?」と言う。「あるよ」と答えると、「こっちの鏡からKayの姿が見える」と言う。「ええ?こっちからは見えないよ。変なの。」と言いながら、鏡に向かって手を振る私。その後、トイレをすませ外に出ると、Pが待っていた。「僕のあとに男の人が入って行ったけど、鏡のとこで見えなかった?」「あたしの方からは見えなかったもの」と答えながら、Pにからかわれているのに気づいた。
「手まで振ったよ」「振ってるんじゃないかと思った」とケラケラと笑うP。なんで鏡なのに見えるんだろう、とちょっと思いつつも、トイレに行くことに神経が行っていて、特におかしな話だとも思わなかったという鈍さ。

日本において、または、日本語で話しているときは、自分はgullibleではないと思っている。どちらかと言うと、ひとの話をまず疑う慎重さ(または性格の悪さ)が前面に出ている。高校のときにアメリカに行ってからは、妙だなと思うことがあっても、外国ではこうなのかもしれないとまず考えるようになり、gullibleとからかわれるようになった。このトイレの鏡にしても、「フィンランドではそういうことがあるのかもしれない」と受け入れていた。それに、こんな冗談をわざわざ言うという思考回路が私にはないので、Pが見えるというのなら見えるんだろうと疑わなかった。

馬鹿か、あたし。

Gullibleって単語は辞書に載ってないって知ってた?*1

*1:これも言われたときには"really?"と反応し、直後にからかわれているのに気づいた。情けなさ過ぎる。