ばあ様と毎日必ずやり取りする会話がある。一つはフキン問題。「これは私のじゃないよ。」と、ばあ様が入院中に私が買って持って行ったフキンを必ず母に返しといてと言う。確かにばあ様が買ったものではないので、記憶にないのは正しい。毎日、「病院で使ってたやつだから、おばあちゃんが使って。あげるから。」と伝える。「あ、良かった。いいの?もらうよ。」と受け取るときと、「いいえ、病院なんかで使っとらん」とこちらの言うことを否定されるときとがある。「うそばっかり」と言われるときもある。彼女のメモリーにはきれいさっぱり残っていないのだから仕方ないと思っても、うそと言われるとイラつくことはある。そういうときは、私はだまって部屋を出る。
もう一つの会話は、今ばあ様が編んでいるショールについてである。この間私が編んだセーターと色違いのマジョラムの糸をガーター編みでショールにしているばあ様。もうすぐ出来上がるのだが、私が使うものと思っている。「長さはもっとあったほうがええ?ちょっと見て」と毎日広げて見せるので、「それ、おばあちゃんのよ」と説明する私。日によっては、「え?もらっていいの?毛糸いっぱい使ってお金がかかっとるのに。払うよ」と言ったり、「デイサービスにしていったらええね」と喜ぶのだが、大抵の場合、「私にはハデすぎるよ、こんな赤いの。90過ぎたババさんがこんなのしたら、キ○ガイかと思われる」とケタケタと笑う。私も、「ハデじゃないよ。似合うよ。」と余裕で返せるときと、「それくらい明るい格好しないとコキタナイばーさんになるよ」と毒が出るときがある。修行が足りんな。
他にもある。パジャマでも洋服でも、自分の娘のお古だとしょっちゅう言う。叔母は40年ほど前に東北に住んでいたことがあるのだが、そのときに着ていた厚い冬服は東京では暑いからということで、ばあ様に送ってきたのだそうだ。実際そういう服もあるのかもしれないが、私が去年の敬老の日にあげたパジャマも「これはネルで厚いでしょ?これは東北の方で着とったものを送ってきたんよ」と言っている。認知症の人の言うことの否定はいかんのだろうが、昨日は「それ、あたしが去年あげたんよ」と言うと、「うそばっかり」と笑われた。
足に保湿剤をつけるときも毎晩ひと悶着ある。べたべたするものが大嫌いなばあ様。乳液を顔につけてもティッシュでふきとる人である。すぐにさらさらになる軽い保湿剤を使っているのだが、塗ろうとすると(私が塗っている)「やめてっ!べたべたして布団につくから」と顔をしかめる。「すぐさらさらになるから大丈夫」と私は有無を言わせずにすぐ塗る。だって乾燥して白くなっているのだ。自分で足を触って、「あら、すぐ乾くね」と納得し、「いいね、これ」とポジティブな意見を述べてみたりするのだが、次の日にはまた「やめてっ!」となる。
ま、別にどの会話も大した話ではない。また言ってら、と流せばいいのだ。思いっきり否定されるとむかつく私はまだまだ人間が小さい。
毎晩、布団乾燥機を持って行くと「それ何?」っていうのもあるな。新しい情報はなかなか保持されない。「あっためるんでしょ」とわかっているときもある。乾燥が終わって、片付けて部屋を出ようとすると、「はいどうもどうも。サンキューベルマッチ」と礼を言うばあ様。
そろそろショールが出来上がるので、次のプロジェクトを用意せねば。