ばあ様、デイサービスデビュー。
「どうして私がそんなところへ行くわけ?気分が悪いんだから、元気な人と同じように行動できると思われちゃね。そういうところは私は大嫌い」などなど、デイサービスから迎えに来たスタッフの二人、ケアマネ、母と私に囲まれ、ピンチに陥ったばあ様はごねまくる。デイサービスに行きたがらないお年寄りは珍しくはないそうで、施設の人が上手に誘うところが腕の見せ所と何かで読んだ。しかし、お二人は心配そうに見つめるのだが、あまり積極的に誘ってはこない。私が「あたしも行くから一緒にご飯食べに行こう」などと説得していたのだが(私が同行することは施設の人も了解済み)、内心「もっと誘ってやってよ〜」と思っていたのであった。だが、後で考えると、ばあ様に話しかけ続けていた私に遠慮してだまって様子を見ていたのかもしれない。
で、結局おもーい腰をあげたばあ様である。20分かかったよ。他の利用者の人をえらくお待たせしてしまった。優しい施設の人に両側をサポートされながら、玄関の階段も見事に下り、車椅子でバンに乗せてもらった。なんといっても久しぶりに外に出るし、入院する前にしたって車で出かけるような遠いところは行ったのはずいぶん前のことである。車から見える景色に興味を持ったようで、「ここはどこらへん?んまあ、昔は田舎だったのにこんなにたくさん家がある」と驚いていた。
施設は新しく、きれいであった。スタッフの人も皆さん優しく明るい。利用者は10人ほどである。新入りのばあ様とちょっと若いのもくっついて来ているし、「どうしていつもXXさんが座っているところに知らない人が座っているの」と不機嫌なおばあさん(田頭さんと呼ぶ)はスタッフに不満げに言っていた。ごめんよ。それぞれ皆さん、色々な症状をお持ちのようなので、こちらもそう真剣にとってはならない。
お一人、耳もよく聞こえるし、頭もしゃっきりしているし、とてもお元気でおしゃれな女性がいた。波野さんと呼ぶ。この方、携帯電話を開いて顔の高さまで持ち上げ、何か操作をしていらした。ほお、携帯電話をお使いとはお若い、と思っていたら、少し離れたところにいた田頭さんが向かいの席の女性に「ほら、あの人また鏡を見てる。しょっちゅうああなのよ」と言っている。そして、波野さんのそばに行き、「あなた、べっぴんさんだから鏡ばかり見て」と言う。「ええ?」と意味のわからない波野さん。「あなたはべっぴんさん!」と言って立ち去る田頭さん。波野さんは「まあ、いやあねえ」とただ褒められたと思って喜んでいる。デイサービス、ネタの宝庫。
この波野さん、マイルドな話方で優しい感じの方なのであるが、ばあ様が退院して間もないと聞くと、「そういう方にはもっとあったデイサービスがありますよ。周りに気を使わせるからそういうところの方がいいんじゃないですか」と私に言ってきた。ここでむかついてはいけない。相手は90過ぎの高齢者である。にっこり笑顔を返してだまっていた。ばあ様の耳が遠いことはこういうときに助かる。
波野さんはアメリカ生まれとおっしゃるため、どちらですかと聞いてみた。仮にサンフランシスコということにしておこう。そこで、"San Francisco!"と英語で返した私。すると、首を振りながら、「さんふらんしすこ、よ」と発音を直された。英語を身につける前に帰国なさったようだ。その後、日本でいかに高い教育を自分やご兄弟が受けたか、一家が成功者であるかという話をされていた。まあ、素晴らしいですね、すごいですね、さすがですね、と相槌を打つと素直に喜ばれていた。ほめておけば良いようだ。
貼り絵をする時間があり、スタッフの方は「そういうことがお好きじゃなければ、しなくていいです」と言っていたが、ばあ様は特に嫌がりもせず、それこそ元来の几帳面な性格も手伝って、「そこまで丁寧にしなくてもいいよ」と私が口を出すくらい一生懸命やっていた。しかし、「これをやったら、栗饅頭の一つでも出るわけ?」とか、「これをやる価値は一体なんなの?」とか、毒を吐くのも忘れなかった。
昼食は私も皆さんと一緒にいただいた。スタッフの方にテーブルまで持ってきていただいて、恐縮してしまった。ときどき家族が来ることはあるらしい。昼食とおやつ代は600円であった。安い。でも言っちゃ悪いが、それなりだった。
お昼の後は、本を読んだり、おしゃべりをしたり、昼寝をしたりと自由時間であった。ばあ様は少し横になったが、初めての場所でそうリラックスして寝る気にもならなかったらしく、すぐに起きた。スタッフの方に話しかけていただいて、結構おしゃべりであった。ばあ様は、「知らない人に会ったりするのは嫌なんだから」と常々言ってはいるものの、いざとなると案外社交的である。波野さんの洋服がおしゃれだと「奥さんのお召しになってるセーターはステキですねえ」とほめていた。波野さん、ほめられっぱなし。
波野さんエピソードをもう一つ。お一人、家までの帰り方がわからなくて不安になっている女性がいた。矢野さんと呼ぶ。若々しい感じの方であった。もしかしたら60代かもしれない。ご自分で物忘れが激しいと自覚はあり、みんなに「家まで帰るのはどうしたらいいんでしたっけ」と聞いている。家の前まで送ってくれるから大丈夫ですよ、と私が答えると安心していたが、またすぐに他の人に同じ質問をしている。波野さんにもしていた。「一緒にバスで帰るから大丈夫。安心して」と答えた波野さんであるが、「あなた、私はあなたよりもっと年は上なのよ。ぼけるのなんてやめなさい。もったいないでしょ」と続けた。矢野さん、呆然。こんなこと言われたのも忘れればいいけど。
まあ、失言というか、思ったことを言ってしまうのは、ばあ様にも見られる。田頭さんが、「しっかりしてらっしゃるのねえ」とばあ様に言った。私の方に向いて「おいくつ?」というので、「98です」と答えると、「まあ、しっかりしてる。私は93よ」と言う。ばあ様には聞こえなかったので、耳元で「こちらは93歳なんですって」と繰り返えしてやると、驚いた顔をして私を見て、「え、じゃ若いね」と言う。田頭さんは「もっと年取ってると思った?」と言いながら、杖をついて去っていった。すみません。
帰る前におやつが出て、スタッフが皆さんの前で「初めてでしたが、いかがでしたか」とばあ様に聞くと、「はい、おかげさまで楽しく過ごすことができました」と笑顔で答えていた。いい格好して上手にいろいろ言うことがある人なので、本心かどうかは謎ではあるが、少なくとも、ものすごく嫌だったわけではないようである。
耳が遠いので、何が起こっているかを理解しづらいのが難である。今回は私がそばで繰り返して言ったのでわからないままで放置されることは少なかったのだが、一人だと孤立した感じにならないかなあと思う。スタッフがばあ様だけに話しかけるのであれば集音機を使ったり、耳元で言えば問題ないのであるが、全員に話しかけているときなど、集音機では聞こえにくいようだし、自分で操作をすることもできない。補聴器はもっているが、聞こえすぎて嫌いと使わないままもう何年も経ったので、耳にあわなくなっているだろう。なんかいいものないかなあ。ちと心配である。でも、毎回あたしがついていくわけにはいかないしね。色々おもしろいことはあるんだけどさ。