ばあ様のことについては、なるべく明るく書こうと思っていたが、今日は無理だ。私も精神的に参っている。
元いた病院に今日戻ったのだが、彼女の認知症について正しく認識されていなかったようである。私が夜6時過ぎくらいに訪ねたら、部屋にあるポータブルトイレを一人で使った直後でベッドに戻ろうとしているところであった。介助無しでしてはいけないのにである。ベッドの片側の柵が下ろしてあり、すぐそこにトイレがあれば、当然使いたいと思うであろう。上手にベッドに戻っていたから良かった。しかし、ベッドに座った途端、ばあ様は泣き始めた。「トイレに行った後、手を洗うところもない。ここは養老院みたいだ」と声を震わせて泣くのである。すぐに横に座り、「ここは病院だし、手は洗いに連れて行ってあげる」と慰めた。ナースの詰め所に行ったところ、歩いていくには距離がありすぎると言う。ならば車椅子を貸してくれ、と言い、洗面所まで連れて行った。
手を洗えて良かったのだが、片方の手首に打ち身のような紫のあざが出来ていることに驚いた。「ころんだんよ」と言うのだが、「昨日か今日か、忘れた」と覚えていないという。実際ころんだのかどうかはわからないのだが、昨夜はなかったあざである。一人でいる間、ころんだのだろうか。腰もぐしぐしと痛いというのだが、それは手術をしたあたりのことを言っている。あとで母に聞くと、朝から痛いとは言っていたらしい。父と母が転院に付き添い、病院を出たのは午後2時当たりで、午後はリハビリがあると聞いていたらしい。そのときにあざはなかったのだと。リハビリで何かあったのだろうか。それとも一人でいる間に本当にころんだのだろうか。
とにかく、ちょうど入ってきた医師に手首のことを伝えた。「どこかで打ったような跡ですね」と言う。本人がどうしてそうなったか説明できないので仕方が無い。とにかく、ばあ様が勝手に一人で動かないよう、ポータブルトイレは部屋から出してもらった。見ると行きたくなるだろうから。ナースコールで介助を頼むというのは、何度説明しても忘れてしまうので無理だ。
認知症は残酷だ。中途半端な認知症と言っていいのかわからないが、一つ一つの会話は筋道が通っており、相手の言うこともその場では理解できるという状態だと、症状の把握をしていない人は、「理解した」と勘違いするだろう。それで、手すりをおろしたまま、ばあ様を一人にしてしまったのかもしれない。どっちにしても、病院に対する不満は大いに残る。
以前の病院では、拘束ベルトをしていた旨を伝えた。この病院では、そういうベルトは無いという。このベルトの場合、帯のような感じで、心が痛むほどのものとは感じなかった。ごつごつするので外したいとばあ様は言ったことはあるが、それ以外は案外文句も言わずにしていた。当直の看護師にベルトの話をした際、それはないから、もっと簡単に手を固定するとか、と言った。それは絶対にやめてもらいたい。それに、ばあ様は確実に抵抗する。そこまでぼけていない。後から来た医師にそれを伝えた。医師は、今日来たばっかりなので不安に感じているということもあると思うし、今晩は拘束はしないでおこうと言う。手すりをあげておけばある程度の高さはあるのだが、看護師は「出ようとする人は、自分でさげたり、またいで出たり、どうやっても出る」と言う。ばあ様はそこまでするかどうか皆目わからない。一人で歩いたら危ないから絶対だめよ、朝までトイレは行かなくても大丈夫だから安心してこのまま寝てね、と何度か説明し、そのたびにばあ様は「そうよね、危ないよね。もうこのまま寝とればいいんよね」と頷くのだが、私は安心はしていない。
私がばあ様に説明するのを聞きながら、医師は独り言のように「ああ、なるほど」と言っていた。そこまで繰り返して説明しないといけない状態であると理解したということだろうか。ばあ様が新しい環境に慣れる必要があると同時に、病院側もばあ様の症状をもっと理解してもらう必要がある。
特定の宗教は持たないし、むしろ宗教的なことを避ける私であるが、家に帰って本気で声出して祈ったよ。泣く姿に参った。年とってから、不安な思いをしなきゃいけないのは悲しい。でも、不安な思いをしている高齢者が五万といるのだろうな。