ばあ様の病棟に到着したら、まずはナースステーションで声をかけなければならない。今日、「お世話になります」と中を覗いたら、ばあ様が車椅子に座り、テーブルに雑誌を置いてボーっとしていた。まるで悪いことをして職員室で宿題でもさせられている小学生のようだったので、思わず笑ってしまった。
昨日から、車椅子で過ごす時間を増やすようにしているようである。せまい自分の部屋で一人で座っていては、もし自分で立ち上がろうとしたら危ないので、監視のためにもナースステーションに連れて行ったと推測。看護師さんも、まだしばらく座った状態でお願いしますと言うので、院内の散歩に出かけた。お盆の土曜日で、外来患者もいないし、入院患者も外泊している人がいるのか、全体的にひっそりしていた。
病室に帰ると横になりたがったので、看護師さんに連絡。私一人で車椅子から移動させるのは恐い。看護師さんは、ばあ様は移動が上手なのだと言う。確かにベッドの手すりを持ちながらさっさと車椅子から立ち上がり、ベッドに座り、快適な姿勢を探すべく、手をついたまま半分腰を浮かせた状態でごそごそとする。「97歳とは思えない」とまた看護師さんを感心させる。実際、私もすごいと思う。
夕食前になると、足が冷たいとか、寒い寒いと言い出すのが常である。お腹が空いているのだと思う。うるさく言っていると、同室の川田さん(仮名)が、「ちょっと〜、お隣の人〜、冷房切ってもらっていいですよ〜」と声をかけてくれた。申し訳ない。冷房は各部屋でコントロールできるようになっており、川田さんのベッドのそばにある。川田さんもベッドから動けないので自分ではどうすることもできない。
お礼を言い、ついでなので「耳が遠いし、認知症があるのでいつもお騒がせしてすみません」と謝ると、「みんな一緒よ」と笑う。ありがたい。「娘さん?」と聞くので、「孫です」と言うと、「まあ。さっきから聞きよると、おばあちゃんと仲良しでうらやましい。」とおっしゃる。「みんな一緒」って、ばあ様と違って、川田さんの聴力には問題がないのである。実に申し訳ない。88歳だそうだ。
ばあ様のベッドへ戻ると、カーテン越しの川田さんの方を指差しながら、普通の声で「わたしと同じくらいの年の人?」と聞くばあ様。やめて、静かにしてくれ、と口に人差し指を当てて返事はしない私。教えたって、また同じこと繰り返し聞くのはわかっている。ばあ様ほどの年寄りはこの病棟にはいないってば。
父は、ばあ様の足が治っても、認知症のことを考えると、もう自分達で面倒を見るのは無理だと言う。私はその台詞に密かに動揺している。確かに、80近い父母には大変だろう。だから私もだまっている。今のところは。ただ、父は私や母ほどばあ様と話をしないし、時間も過ごさない(昔からだけどさ)。実の親だから感じ方が違うのかもしれないが、父にしても伯母にしても、私から言わせると「何を認知症の人を相手にイラついてるんだ」と感じる。大腿骨を骨折した人になぜ早く歩けないのだとイラついているのと同じことだと私は感じるのだ。それに、父はばあ様の認知症を実際よりもひどく考えている気がしてならない。そりゃ、いい日悪い日があるのは確かだが、誰が誰だかわからないわけでもないし、一つ一つの会話はcoherentで私の言うこともすべて理解し、ときには気のきいたおもしろいことも言う。
私に財力があったら、バリアフリーの家一軒買って、ばあ様と二人で住んでもいいなどと想像したりする。甘いだろうか。だが、Pとのこともある。泣けてくる。伯母がばあ様の看病に来たとき、もう家には帰れないからねなどとばあ様に言っていた、とPに伝えたとき、こっちが驚くほど「そんなのだめだ」と強く反応したP。広島へ引っ越すから、二人で面倒を見ようとまで言った。何を言い出すのだ、現実的になれ、と実は私のinitial reactionはPの発言にイラついたのであった。Pの父母はどうする、Mちゃんはまだ中学生だ、仕事を途中でやめる気か、と、あまりに非現実的な提案だと腹が立ったのだ。普通の人なら、ありがたくて感謝するよね。ばあ様には寛容なのに、他の人にはすぐイラついてしまう私である。だめだね。
Pのこの発言を父母に伝えてPの株は一気に急上昇したわけだが、「気持ちだけいただいておく。あんたは早くフィンランドに行きなさい」とあの人達らしい反応であった。
ということで、I'm tornである。国内外問わず、こういう立場の人は、世の中に五万とおろう。どこかで何かをあきらめなければならない。泣けるわ〜。