ばあ様の股関節の手術は無事終わった。医師も看護師も作業療法士も驚く体力のばあ様。「もうすぐ98とは思えません」と看護師も笑う。そうなのだ。それは素晴らしいことではあるのだが、腕力がある分、手術直後にベッドでじっとしていなければならないというのに、ベッドの手すりをがっと掴み、臀部を浮かせてみたり、「こうしたら絶対痛いはずなのに」と看護師も不思議がるような方向に手術した脚を動かしていたり、目が離せないのである。付き添いするつもりはなかったのだが、主任の看護師さんが「どうされますか?」と聞かれたので、伯母と二人で夜11時くらいまで世話をし、その後私は泊まることにした。
medical careの方は看護師さんたちがしてくれるわけだが、なんといっても認知症が進んでしまったし、何度も何度も同じことを説明する暇など彼らにはない。耳も遠いので、耳元でゆっくり話してやらなければならない。一晩中、中腰で話しかけたので、今日の私は腰が痛いよ。手術をしたことを何度言っても忘れるので、なぜ自分の体がこんなに痛いのかわからないから不安になるわけである。私は普段は短気なイライラ人間だが、ばあ様相手だと、彼女が聞いたことを忘れるのを完全に受け入れているので、全然イラつかない。何度繰り返し聞かれてもなんとも思わない。繰り返し答えるだけである。期待しないということは、イライラしないということだと改めて思う。伯母はイライラして大変であった。それが私をイラつかせたので、先に帰ってもらったというのが正直なところ。こういうのにイラつかないにはどういう心構えをしたらいいんだろうね。
深夜のシフトの看護師さんたちは、皆さん親切でいい人達だった。私にまで気を使ってくださってありがたかった。大変な仕事だよ、本当に。
手術の後、個室へ戻った際、担当外科医が術後のレントゲンを持って見せに来てくれた。「こういうのを入れてますので」と人工関節の影が映った写真を掲げる。ばあ様は術後の痛みで唸っていたのだが、レントゲンを見ると「へえ」と一瞬感心したようだ。でもすぐ忘れていた。激しく近似記憶力が衰えている。環境の変化はやはりよくないね。traumaticな経験をしたからということもあるだろうが、一度症状が進むともう戻らないのかなあ。
手術の翌日からもうリハビリというのが驚きである。今日は立ったり座ったりしたらしい。そのたびに血圧を測るらしいのだが、寝ているときとほとんど変化がなく、作業療法士を驚かせたのだとか。私より体力があるかもしれない。
まだまだ傷口は痛いし、なぜ痛いかはすぐ忘れるが、入院しているということは理解し、外が暗くなると危ないからさっさと帰れと私に言うところなど、今日はしっかりしていた。これからつらいリハビリもあるだろうが、個人的には大丈夫なのではと思う。入院前のような生活は無理だろうし、伯母なんて、もう家には帰れないでしょ、となどと言うのだが(同居の父母に負担だから。それはまあ一理あるんだけどさ)、ばあ様は結構負けん気だし、何しろあの体力なので、ある程度は復活するんじゃないかなあ、と思っている。
しかし、手術って大変だ。私は11歳のときの扁桃腺切除くらいしか入院経験はないが、あのときだって麻酔が切れるときには痛くて布団蹴ったり、ぬいぐるみ投げたりしたことを覚えている。というか、ばあ様が痛がるのを見て思い出した。
ま、傷口は痛いかもしれんが、口は超達者である。手術前からずっと水分を取れず、手術が済んでも数時間はだめだったのだが、口が気持ちが悪い、水を一杯くれと懇願する姿が可哀相であった。看護師さんが、口をぬらすくらいならいいですよ、とガーゼをくれたので、まずは伯母が口の中を拭いてやると、「そんな乱暴に!下手!」と怒り、後で私がすると「看護婦にはなれんね」と静かに言われた。
今日は、「何を悪いことしてこんなばちが当たったんかねえ」と嘆くので、「ばちじゃないよ。怪我や病気は誰にでも起こることよ」とメガホンを使って耳元で言うと、「あんた、若いくせに偉いこと言うよね」とニヤニヤしながら言われた。
ばあ様、がんばれ。