昨夜、転院先のばあ様を見舞ってきた。その前の日のばあ様は、しおらしく、涙など流していたのでこっちも可哀相に思ったのだが、昨日のばあ様は毒舌絶好調のババーであった。
私が到着したのは、ちょうど晩御飯を終えたばかりの時間帯であった。「晩御飯何食べた?」と聞くと、「大したものはでんかったよ」と憎憎しげに答える。「ちょっと声が大きいよっ」とあわてて言うも、「鉄筋なんだから聞こえやせんっ」と偉そうである。彼女が寝ているところからは、ドアが開けっぱなしになっているのが見えないのである。おまけにカーテンの向こう側には同室の人が寝ている。
「同室の人に迷惑でしょ」と言うと、目をむいて「え!」と驚く。耳が遠いので、同室の人がたてる音は全然聞こえないし、ベッドから動けないのでカーテンの向こう側を見ることもないし、何度同室の人がいると言っても、ばあ様にとっては、聞こえもしなければ見えもしないものは存在しないものと同じなのである。確かに骨折してから、近似記憶が激しく劣っている。複雑な気持ちである。
昨日のばあ様は、とにかく不機嫌で、何かと毒を吐く。看護師が優しくなかったとか、私の持っていった本の著者の写真を見て「うわー、美人〜」(逆を意味する)とか、まあ、なんというか、素なのである。
不機嫌になる気持ちもわかる。トイレに自分で行けないということは、屈辱的と感じることが通常であろう。昨日は痛み止めがよく効いていたのか、一度「トイレはどこ?ちょっと行ってくる」と自分が動けるつもりでいた。動いたらだめよ、骨が折れてるんだから、とあわてて止めると、「骨が折れとるん?」と驚く。10分後に話すときには、自分のおかれた状況を理解している。こんな風に記憶がまだらである。
とはいえ、「帰りはどうやって帰るん?明るいところを通れる?」と私の帰り道を気にするところは普通のばあ様である。皆に迷惑をかけると悪がるときなども、脳が普通のときなのであろう。
さて、耳の遠いばあ様と話をするときに便利なのが、メガホンである。以前は補聴器も使っていたが、当時から「聞こえすぎる」と嫌がっていたし、ここ最近ずっと使っていない。大声を出して話すとこちらも疲れるし、周囲にも迷惑である。そこで、100円ショップのプラスティックのメガホンである。こちらが声を落として話をしても、耳元で話せばまったく問題なくばあ様にも聞こえる。傍から見たらおかしな光景だろうが、そんなことを気にしてはおれん。
これからまた顔を出してくる。