子供の頃からベッドに入ってすぐに眠れた試しはない。天井に張ってあるパネルを延々と数えてみたり、豆電球だけついている電気を細目で見つめて、黄色い光だけが見えるようにしてみたり、すりガラスの入った窓に色のついたガラスを入れたらきれいだろうと想像してみたり、などなど、寝入るまで色々時間をつぶしていた。これらはあくまで精神的に落ち着いているときの話である。その日に学校で嫌なことがあったとか、次の日に体育があるとか、そんな日はしくしくと泣いてみたり、お腹が痛くなって明日は休めないだろうかと、当時信じていた神様にお願いしてみたり、何かと忙しかった。
小学校3年のときくらいだったと思うが、寝るための儀式として、私は自分なりのお祈りを始めた。クリスチャンではなかったが、教会の幼稚園に行ったのでキリスト教は身近であったし、当時の私は神様を信じていた、と言ってもいいと思う。しかし、このお祈りというのが、すさまじい数のお願い事のリストなのである。「戦争が起こりませんように」「お腹のすいた子供がいませんように」とミスユニバースのQ&Aコーナーの答のような内容のものもあったが、数が増えてくると内容はもっとパーソナルになり、家族の健康と安全を「事故にあいませんように」などと具体的にお願いし、家族についてのお祈りの後は、私の日常生活についての項目となる。「明日学校でXXや○○に意地悪をされませんように」「明日の体育で嫌な思いをしませんように」「算数の時間に難しい問題を当てられませように」「&&君に髪をひっぱられませんように」などと、学校生活における私のストレスのソースに関して詳細にお願いごとをするわけである。そして最後に「アーメン」と唱える。

大人が眠れないときに何をするかというと、読書、パソコン、テレビというのが一般的かと思う。パソコンやテレビは明るすぎるので良くないと聞いたが、時間つぶしになることは確かだ。読書も手元に読みたい本が無いと困る。今、まさに眠れなくてこんなブログを書いているわけだが、最初は本を読もうと思っていたのだ。読みかけの本はあるのだが、どれも今読みたくない。「高慢と偏見」を「読んでおくべきだろう」と思って読み始めたのだが、どうもI can't get into it. もっと現代の話が読みたい気分。

帰国して1週間になるが、今回は結構時差ぼけの調節がうまくいっていたと思っていた。少なくとも午前中には起きるようにしていたし。今日、upsettingなことがちょっとばかしあり、気分的におもしろくないので、さっさと眠って意識をとばしてしまいたいのだが、これがなかなか。sedativeも飲んだのだが、まだ効いてない。

子供の頃のお祈りをまたやってみるか。