フィンランド語講座で一緒のメキシコ人のBさん、というか、まだ若いのでBちゃんと呼ぼう。彼女は自然で流暢な英語を話すので、英語圏に留学経験があるのかと思っていたが、メキシコで習っただけだと言う。小学校から習い始め、大学では卒業資格の一つにTOEFL550点以上というのが設定されているらしい。「社会経済的に高くない人以外は皆英語を話す」と言う。
ところかわってスウェーデンでは、「社会経済的レベルに関係なく、皆英語を話す」とEさん。テレビをつければ英語の番組をやっていて、嫌でも聞くチャンスがあるし(字幕つき)、見ていれば覚えると言う。スウェーデン語と英語は似てるということもあろう。
フィンランドのテレビでも、外国の番組は字幕だ。フィンランド語と英語は全然違うが、やはり日常的に英語を聞いていれば、慣れるスピードも速いだろう。
私は16歳で渡米し、その時点で中一のときから4年近く英語を学んでいるわけだが、とてもではないが"I speak English"などと言えるようなレベルではなかった。「話せないけど読み書きはできる」というのも違った。western civilizationの教科書の第一章を読んでそのアウトラインを書けって宿題に涙したことを覚えている。知らない単語だらけ、辞書引いても文章の意味がよくわからない、そのアウトラインをまとめられるわけねーだろっと眠れぬ夜を過ごした。思い出すだけで胃痛がする。
学校の授業だけで充分に話す能力を身に着けている国の人達に会うと、いやあ、どっかおかしいだろう日本の英語教育は、と思ってしまうわけである。大体、composition, readingとあとなんだったかな、listeningかな。とにかく、私が通った日本の高校では、英語の授業は3種類に分けられていたが、やっていることといえば、教科書の和訳ばかりだった。それも堅苦しい変な日本語。誰もそれをおかしいと思わない妙にくそまじめな授業の雰囲気。清水義範氏も抱腹絶倒の本を書かれているではないか。

永遠のジャック&ベティ (講談社文庫)

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アメリカの高校を卒業して大学に進んだが、毎回ペーパーを書くときは必死で胃痛がしたわさ。まあ、それは英語の問題だったのか、単に勉強が好きじゃなかったからなのかはわからないけど。
フィンランド語講座も二週目に入り、宿題も増えてきている。明日までに「私の日常」という短いレポートを書かねばならない。朝何時に起きて何をするとか、そういうやつ。ブログってフィンランド語でもblogでいいのかな。