今回のフィンランド滞在中、ヘルシンキで物乞いをする人を数人見た。以前は見た記憶がない。今日のヘルシンキの新聞に関連記事があった(英語)。東欧の人々らしい。
Kamppi(バスセンター)の近くで、足の悪い女性が物乞いをしているのを何度か見た。初めて見たとき、「え、フィンランドに物乞い?」と驚いた。welfare stateなら、政府が助けてくれるんじゃないのか、と思ったのだ。帰宅してPに言うと、フィンランド人じゃないんだろう、と返事。今日この記事を読んで、ああやっぱりそうかと思った。うーん、困ったなあ。政治的な理由で国を離れているのなら、asylumとか求められないのか。でも単に可哀想と同情するのも違うような気もするし。

物乞いする人にお金をあげたことが一度だけある。アメリカでの話。物乞いと呼ぶと、道端に座っているとか、コップを通行人に差し出すとか、そういう姿を思い浮かべるかもしれないが、私にお金をくれと言った人は、ごくごく普通の姿の若い女性であった。乳母車に赤ちゃんを乗せていた。通りを一人で歩いていたら、いきなり話しかけられ、「おなかがすいて仕方ないから、よかったら少しお金をくれないか」と言われたのだ。言葉も丁寧で、申し訳なさそうな顔をしていた。現金をあげても食料を買うとは限らない。お酒やドラッグに使う可能性がある。当時私は19歳で、こんな経験は初めてであり、どう対処していいのかわからなかった。赤ちゃんがいるし、本当に「普通」の感じの女性だったので、2ドルだけあげた。彼女は丁寧にお礼を言った。もちろん、心の中では、あげるべきだったのかどうかモヤモヤしていた。「普通」の顔して嘘をつく人はいるしね。赤ちゃんがいたし、というのは「あげてよかったのだ」と思いたいゆえの言い訳かもしれない。もし今そういう状況に遭遇したら、何もあげない。お腹が空いて死にそうだと言うなら、ハンガーバーを買って渡す。現金は渡さない。
アメリカでは、こういう風に外で物乞いをする人には数多く遭遇したことがあるが、バンクーバーに遊びに行ったとき、コーヒーショップの中まで入ってきた人には驚いた。それこそそこら辺にいるような風体の若者である。コーヒーを持って席に座ろうとしたら、近寄ってきて、小銭をくれと言う。いい加減にしろと思ったので「ない」と言うと、無言で立ち去り次々と他の客に話しかけていた。なんだかなあ。職が少ない、無い、という状況は有り得るが、こう当然のように小銭を要求されても。

ああ、難しい問題。