小学校5年で転校した先にヒロコ(仮名)という少女がいた。転校生として自己紹介をした私に彼女はすぐに近づいてきて、「あたしも転校生なんだ」と言う。3年生で京都から引っ越してきたらしい。おしとやかな感じのきれいな子で、席も近かったし帰宅方向も同じだったので、親しく話すようになった。京都では、家は大きな平屋で、庭も広くて、鯉の泳ぐ池と「竹に水が流れてカーンって音がするやつ」があったと言う。日曜日にはお母さんが着物を着て、お茶をたててくれたらしい。「すごーい、そんな生活をしていたのか」と感心した。

ある日、ヒロコが「うちのお母さんの名前、エリカっていうんだ」と言う。ふーん、きれいな名前、と答えた。しばらくしてクラスの連絡網のプリントが配られ、ヒロコの自宅の欄を見ると、母親の名は「マサコ」と載っていた。あれ、エリカじゃないの?変なのー、と不思議に思ったが、特に彼女を問いただすほどおおごとでもないし、だまっていた。

給食を一緒に食べていたとき、ヒロコが自分が住んでいる家のことを話し出した。二階建てで、一階には階段の横に白い電話が置いてあると言う。ダイアルの部分は金色で、ガイコクみたいなやつだと言う。そばにいた男子が、「うそー。ヒロコんち一階建てで」と笑った。ヒロコは大慌てで、前は一階建てだったが二階建てに建て増ししたのだと言う。「昨日、おまえんちの前通ったもん」と言い返す男子。私はお母さんの名前のこともあるし、電話の説明のところでなんかあやしいと気付いたが、でも本当にそんな電話だったらいいなあと呑気に思った。

後日、家に招待されて遊びに行ったら、一階建てだった。お菓子作りの得意なお母さんが手作りのケーキで迎えてくれ、家はピカピカに掃除が行き届いていて、緊張してしまうほど片付いていた。このお母さんなら着物を着てお茶をたてるというのも容易に想像できた。かしこまりながらケーキを食べ、ついでに電話のチェックも忘れなかった私だが、当時どの家庭でも見られた黒電話であった。ヒロコは、白い電話のことも二階建てのこともすっかり忘れているらしく、お母さんの作ったおいしいケーキをすまして食べていた。

たわいもない嘘をときどき言うヒロコであったが、別に私に害があるわけではないし、結構仲良く付き合った。2年経って卒業式の日の夜、母が「ねえ、ヒロコちゃんって京都から転校してきたって言わなかった?」と聞く。「うん、3年のときだって」と答えると、「今日、卒業式でヒロコちゃんのお母さんの隣に座ったんだけど、京都からいらしたんですってねって聞いたら、いえ、うちはずっとここですよって言ったよ」と言う。ええー、京都ってのも嘘だったのか。竹に水が流れてカーンってのも想像なのかと真剣に驚いてしまった。ときどき嘘をつくやつだとはわかっていたが、京都出身ということについては、私は信じきっていたのである。初対面のときに「京都から転校してきた」と言われれば、それを疑う理由もないわけで、そのときに信じたまま2年間付き合っていたわけだ。「うちの娘が何か言いましたかってお母さん言うから、あら、きっとあたしの勘違いだわってごまかしといた」と母は言う。この「うちの娘が何か言ったか」というお母さんの反応は、ヒロコが過去に他にも「何か言った」ことがあるのだろうなと思った。その想像力豊かな嘘つきぶりに笑ってしまうのと同時に、なにか少々気持ち悪いものも感じた。

同じ中学、高校と進み、この頃ヒロコは自分の成績について大嘘をつくようになっていた。「こうだったらいいなあ」という状態を現実であるかのように口にしてしまう性質に変化はなかった。じき私は留学したので、彼女とは疎遠になったが、留学後もずっと連絡を取り合っていた共通の友達のトモコによると、23歳の頃だったかに結婚式の招待状が来て、「大体もう全然つきあいもないのに招待状が来たというのに驚くし、“色々ありましたが、結婚することになりました”って書いてある」とあきれている。なんじゃそれは、と爆笑した。そんなこと普通招待状に書かないよねえ、あ、でも彼女は普通じゃないからいいのか、とまた爆笑。トモコには中学時代にヒロコの「京都出身」の件を伝えていたのだが、「この色々あったっていうのも、ドラマチックな恋愛だったっていう妄想じゃないのか」「まず、結婚自体が妄想じゃないのか」と二人で盛り上がったのであった。その後、トモコは「欠席」に丸をして投函したらしい。

結婚は本当にしたらしく、子供のドアップの顔写真付き年賀状がトモコのところに届き、「あまりにそっくりで恐かった」と報告を受けた。

今も嘘ついてんのかなあ。子供に遺伝してなきゃいいけど。