虚言癖のある人と話をしたという人が、テレビに出ていた。本人が英語が話せると言ったので「なんかしゃべってよ」と言ったら、「いや、急に言われても」と一言もしゃべらなかったという。「ああ、しゃべれないんだなと思った」と語っていた。

あたしもそんなこと頼まれてもしゃべらないよ。見世物じゃないもの。「なんか手品見せてよ」とか、「なんかギターで一曲弾いてよ」とか、もともと他人に披露する技をひとつやってくれと頼むのならまだ理解できるが、英語を「なんか」しゃべってと頼む発想自体が理解できない。過去に数人こういうことを言ってきた人がいた。適当にしゃべってあしらっとけばよかったのだろうが、どうも抵抗を感じて、はぐらかして何も言わなかった。

今考えれば、その不快な気分を英語で言えばよかったのかもなと思う。でもなあ、相手に通じてないとわかっているのに、そんなこと言ってもね。まじめすぎか、あたし。英語で相手を罵りまくったという話も聞いたことがあるが、罵るなら、相手のわかる言葉で、確実に相手の心をグサグサやらないと。

あたし自身、まったく知らない言語がどういうふうな響きなのかを知りたいときに「XX語ではどういう挨拶するの」などと聞いたことはあるが、「なんかしゃべって」と言う質問は相手が困ると思うのでしたことがない。

うーん、他人に披露する技を見せろと頼むのならまだわかると書いたが、じゃ、バレエダンサーに「なんか回ったりしてみせてよ」とか、町で出会ったコメディアンに「なんかおもしろいこと言ってよ」といきなり言うのもバカな話だ。

サービス精神旺盛な人はリクエストに答えるのだろうが、あたくしのようにケチな人間は、「なんかやって見せてよ」という姿勢を見ると、"I'm not here to entertain you, asshole."という気分になるのよね。