翌日は卒業式。なにがどうなってそんなことになったのか忘れたが、式に遅れそうになり、カーチェースかというくらい2台の車で高速道路をぶっとばして大学に向かった。スーの彼氏の運転にバックシートで頭をかかえながら悲鳴。スーも機嫌が悪くて、「大丈夫よ。間に合うって」という周囲の根拠のない慰めの言葉にも反応せずにむすっとしており、車内はいやな雰囲気で緊張していた。

結局ぎりぎりで式には間に合い、無事彼女はcap and gownの晴れ姿を家族に見せることができた。高校のときの経験から、アメリカにおいても卒業式というのは厳粛なものだと思っていた私であるが、卒業生の名前が呼ばれるたびにその身内や友達からヒューヒューと歓声が飛び交う、やたらカジュアルな雰囲気の式に驚いた。そして、スーの名前が呼ばれたとき、セーラ達と立ち上がり、ヒューヒューと大声を出してスーに拍手を送ったのであった。郷に入っては郷に従えである。個人的には、もうちょっときちんとした雰囲気が好きだなと思った。

式の終了後にホテルへ帰ったとき、セーラがまたおもしろいことを言った。彼女の運転でホテルの玄関に車をつけ、ホテルの人が駐車するために運転席に回ってきたとき、彼女がチップをわたした。そのあと私と並んで歩きながら、「こんな大きなルビーの指輪をしてるっていうのに1ドルしかチップを渡さなかったから、きっと彼は私をけちだって思ってるに違いないわ」と言って、手をひらひらさせながらアハハと笑うのだ。あの母親にしてこの娘。姉にやきもちを焼いてすねているのだろうと大目に見ようと思っていたが、単なるいやな性格だと決定。お父さんの人柄の良さはスーにだけ遺伝したらしい。

夕方からは女性陣はカクテルドレスに、男性陣はスーツに着替え、立食パーティー。スーのアパートのルームメートだった3人もおしゃれをして現れ、みんなでごちそうを食べた。マリアチバンドはなかった。教授達にも招待状を送ったらしいのだが、学部のアドバイザー以外、大学関係者は誰も来ていなかった。出欠の連絡さえなかった先生もいるとスーは憤慨していた。確かにそれは失礼だと思ったが、教授陣に招待状を送ったこと自体が意外だった。彼女はうちの大学には2年しかいなかったし、目立つ学生でもなかった。特定の先生について勉強していたわけでもない。数いる学生の一人、それもよく知らない学生の親からこんなプライベートなパーティーに招待されても、先生達は困るのではないかと思った。これがこの一家の感覚なのか、アメリカ人の感覚なのかは比較の対象がないのでわからないが、誰も先生が来なかったところを見ると、前者だったのかもしれない。

ひとしきり食べて飲んだ後は、ジジババは部屋へ戻り、若者達はホテルのバーで飲んだ。浮かれている私たちは、ゴルフ場で見るようなカートで敷地内を移動していたホテルの従業員を捕まえて、バーのある建物まで乗っけてよとお願いし、本当に乗せてもらったのだった。座席は二人分しかなく、私はスーの高校時代の友達と、クスクス笑いながら荷物を置くところに乗ったと記憶している。ゆっくりしか動かないとはいえ、危ないといえば危ない。マネジメントにばれたらまずかったろう。ま、若い娘たちが、若いハンサムな従業員を捕まえて話をしたかっただけという噂もある。ああ、若かった。

翌日は帰る日だったが、実は記憶が曖昧である。直接ホテルから私の下宿先へ皆と別れて帰った記憶も無ければ、一緒に列車に乗った記憶も無いのだ。乗ったのなら食事をしたはずなのに、何も覚えていない。行きの食事のメニューは、Salisbury steakで、前菜の冷たいマッシュルームスープが激まずだったのでよく覚えている(みんなが「おー、いっつそーぐーっ」と感嘆している中、凍った笑顔を顔にはりつかせたまま「うそだろ」と思いながらも全部飲みきったさ)。だが、日が落ちた中をみんながリモに乗っている光景は覚えているので、一緒に北カリフォルニアへ戻ったような気もする。薄暗い車内で彼氏に擦り寄るように寝ているスーをセーラが見て、「スーったら、彼の脇の下に鼻を突っ込んで寝てるわ!」と大きな声を出し、ああ、一度も彼氏のいたことのないあんたはうらやましいんだろうなあ、と意地の悪いことを思ったので記憶に残っているのだ。スーの家で朝ごはんを食べながら、お母さんが、「みんな、これからはお金をためてまずヨーロッパに行きなさい。世界を見なければだめよ」と言ったので、「アジアにも来てね」とすかさず言ったのも覚えているが、これはもしかしたら、卒業式の前に泊まったときと混乱しているかもしれない。

ともかく、「学士取得というのはこんなに大騒ぎして祝うような大そうなものかね」と思うようなイベントであったが、貴重な体験であった。学んだこと:スーの気立ての良さはお父さんゆずり。移動は飛行機に限る。

だが、実はスーはこれで「大学卒業」じゃなかったのだ。今学期で卒業♪と喜んでいた彼女が、ある日非常に動揺した様子で、「取得単位を大学側に確認してもらったら、一クラス分足りないと言われた」と言う。自分の計算が間違っていたらしい。なぜそんな計算間違いになるのかが不思議であった。単位の確認を卒業直前の学期に大学に頼むというのも遅い。だが、アメリカの大学は他の大学で取った単位も認めてくれる場合が多いので、こういうときは融通がきく。結局彼女は夏に実家近くの大学で単位を取る手配をし、夏学期に卒業するという扱いになり、式には出られることになったわけだ。ここまで祝っておいて、まだ本当は卒業じゃないというオチ。ちゃんと夏の間に単位を取って、無事卒業したようだ。めでたしめでたし。