昼寝から目覚めると私は一人でデッキに出た。車内では一人になることができない。外は暑くて埃っぽかったが、デッキにあった椅子に座って風に当たるとほっとした。お父さんがドアから顔をのぞかせ、大丈夫か、と声をかけてくれた。外の空気に触れたかっただけだと答えると、笑顔で頷いてドアを閉めた。お父さんはいつも優しく、気配りのきく紳士だ。スーはお父さんによく似ている。線路沿いの道を走っていた車に子供が乗っていたので、手を振ったら振り返してくれた。運転していた父親らしき男性も笑って手を振ってくれた。心が安らいだ。

しばらくして応接間に戻ると皆がおり、スーの彼氏がカメラをかまえて撮影会の真似事をして遊んでいた。カメラにあきたら唄を歌って時間をつぶす。9時間つぶすためには努力がいるのだ。飛行機ならば映画を2本流す。長旅で頭がおかしくなったのか、スーがドレミの唄を歌い始め、皆でボントラップファミリー化するという恐怖の空間。逃げることもできない。両耳に突き刺したいと棒編み針を探すが見あたらない。参加するか狂うか、という選択肢しかない状況に追い込まれた私は、続いて日本語のドレミの唄を披露して、拍手をもらったのだった。

自分を見失いそうになりながら、やっと目的地到着。駅周辺はあまり治安のいい界隈ではなかったのだが、まだ日は高かったし、女性陣を駅前に残して、お父さんと彼氏はレンタカー店に車を取りに行った。7,8歳の子供が二人、手をつないで私たちの前を通っていったのを見て、私が「小さい子供だけでここらへんを歩くって危険じゃないのか」と言うと、お母さんが「あの子達はここに住んでるのよ」と笑った。ああそうか、と自分の世間知らずな発想に苦笑したが、お母さんの言い方が、周辺に住む人たちを蔑んだような感じだったのが心に引っかかった。

少し離れたところにホームレスらしき人たちがたむろしていた。ホームレスといっても、ぼろぼろの服を着てお風呂にも入っていないような人ばかりではなく、見た目は普通の格好をした人も大勢いる。しばらくすると、その中の一人の男性が近づいてきて、"Good afternoon"と挨拶をした。するとお母さんが、"Go away"と言って、手で追い払うようなジェスチャーをしたのだ。ひゃー。そりゃあたしもちょっと緊張したけど、あっちいけって野良犬じゃあるまいし。するとセーラが、"That's not the way you talk to these people, Mom."と言う。"these people"か。彼はお母さんには反応せず、セーラーカラーのワンピースを着たセーラを海軍の人と勘違いしたようで話しかけている。その勘違いに気付いた私たち娘は必死で笑いをこらえているのだが、お母さんは、ほら早く小銭をあげなさい、などと言っている(どこまでも不愉快なババーだよ。There, I said it)。彼自身が海軍だか海兵隊だかにいたことがあるらしく、単に話がしたかっただけのようであった。誤解だと説明すると、普通に挨拶して去っていった。じきお父さん達が車を持ってきたので、お母さんに急きたてられて2台の車に乗り込み、そのままホテルへ向かった。

五つ星ホテルは、部屋もバスルームも素適だった。家具は重厚だが、ベッド周りはローラ・アシュレーで明るくまとめられていた。私はスーの高校時代の友達二人と同じ部屋に泊まった。にこやかなスタッフが一輪挿しの花を持ってきてくれ、さすがと思った。でも、アメリカのホテルには歯ブラシセットが無い。持って言った旅行用歯ブラシセットの練り歯磨きがほとんど空だったことに気付き、失敗したー、と言ったら、あとでお父さんがわざわざ自分の部屋から彼のを持ってきて貸してくれた。頼んだわけでもないのに、実に親切な人だ。その晩はみんな疲れてさっさと寝た。

まだ続く。長いんだよ。