アメリカの高校時代、メリケンのクラスメートが寮の自分の部屋に飾っていた写真を見て、ブロマイドみたいだと感心した。ブロマイド、なつかしいでしょ。
写真の中の彼女は、両手で顔を覆うようにテーブルに肘をつき、背景には大小の風船がたくさんあった。まるでアイドルの写真ではないか。こういうポーズを取りつつ、実に整った笑顔で写っているのである。
彼女に限らず、アメリカの娘というのは、写真の撮られ方が上手というか、ポーズを取り慣れているなあと思った。学校で学年の始めに必ず各自の写真を撮るのだが、斜めに座って遠くを見る感じの笑顔、とか、自然にやっていた。
私は元々写真に撮られるのがあまり好きではないからかもしれないが、ポーズを取るなど、こっぱずかしくて出来ない。まっすぐカメラを見て、にっと笑うことしか出来ない。大体、昔は笑うことも面倒に思っていたような気がする。なんで突然カメラを向けられて、そこで笑顔にならんといかんのだ。大学時代にIDの写真を撮ったとき、まじめな顔をしていたら、「歯を見せて笑わんかい」とカメラマンに言われて、あ、そういうもんか、とニカッと笑ったことがある。歯をむき出して馬みたいに笑ったさ。ピースサインをするのも好きではない。友達の結婚式で、花嫁と並んだときにカメラマンに言われてピースをしたときが初めてだったような気がする。
子供の頃、父が写真を趣味にしていた。一度、二人で田舎へドライブしたとき、まっすぐの一本道を走るよう言われた。走ってくる私の姿を、手前で父がカメラを構えてシャッターを切る、という図である。私は必死で走っているつもりなのだが、「もっと速く!」と怒られて、やだなあと思いつつ、必死で走ったことをビビッドに覚えている。走るのがものすごく遅いんだよ、あたしは。出来上がりは、当然笑顔では無く、眉間に皺を寄せて情けない顔をしていた。

留学してみて、日本人といえばカメラ、みたいなステレオタイプがあるのだなあと、不愉快な思いをしたこともある。高校のキャンプであった出し物のとき、教師の一人が浴衣を着て、首からカメラを下げ、何を言われてもイエスエスとお辞儀をする「日本人」を演じたのである。私がニコリともしなかったので、隣にいたメリケンが「Booooo!!」と私の代わりにブーイングをしてくれた。今考えたら、こういうのは正式に苦情を申し立てても良かったレベルだなあ。16歳の私は、ただ教師がこんなことをすることに驚き、腹が立つだけだった。80年代のアメリカの日本の認識って、こんなもんだったのね。クールジャパンの影響で、今は少しは違うのかしらん。
しかし、私自身、アメリカで日本人相手に「こんなところで写真撮ってんじゃないよっ」とイラついたことはあるので、日本人=カメラ、というステレオタイプが根強いというのは理解できる。例をあげると、大学時代につきあったメリケン男が、自宅近くのスーパーマーケットに日本人の観光客がバスで来て、写真を撮りまくっているというので、そんな馬鹿なことあるか、と信じなかったことがある。そして夏休みに一時帰国中に英会話学校でバイトをした際、アメリカ旅行をしてきたという20代のスタッフが写真を見せてくれ、その中に、スーパーの野菜コーナーで撮った写真が何枚かあったのである。大きなナスに頬を摺り寄せるようなポーズ取ってたり。あの話は本当だったのか、と私は少なからずショックを覚えたのであった。

とはいえ、ナスとのツーショット写真はともかく、自分の写真は撮っておくべきだなあと思ったりもする。客観的に自分の姿を見て、「ひえー、太った!」と驚くことも必要である。