ばあ様の介護に関してI'm consumedで、これはいかんなと思っている。しかし、次々とショックなことが起こり、結局思ったよりばあ様の認知症は進んでいるのだとわかって、さらにショックである。それを受け入れたくないと思っているのかもしれない。話をすると、近似記憶の衰えは激しいとはいえ、今までどおり気の効いたことも言うし、coherentである。知らない人が見たら、普通の年寄りと思うだろう。
詳しいことは書きたくないので書かない。こっちがまいっては元も子もないのであるが、心配なことだらけで毎日一人で泣いている。泣いたって仕方ないんだけどさ。病院にまかせるということができない私である。母は、「自分でできることをやって、それ以上のことはまかせるしかない」と状況を受け入れ、冷静である。私は、「ちょっとそりゃないんじゃないの」と今の病院側に感じることを複数回経験しているので、受け入れることができていない。
なんかね、私ならもっとattentiveにできると思っていて、ゆえにfrustratedなのである。そう思うのは傲慢なんだと思う。medicalなことはともかく、病院に家族のようなケアは無理っしょ。24時間見張っているわけでもなし、それゆえに仰天するようなことも実際起こっているのだ。正直、ばあ様の部屋に一緒に泊まりたいと思うくらいなのである。
ばあ様の脚が治っても家に帰れるかどうかわからない状況である。高齢の両親が彼女の世話をできるかどうかを考えると、胃の中に鉛の塊が入った気分になる。両親に私が介護したいと言ったが、「そんなことは許さない」と言われた。私の人生を大切にしてほしいそうだ。どこまでもありがたい親である。でも、介護したいのである。
Pは今のところ、理解を示してくれている。ここまで長い間離れているのは初めてだ。今理解してくれているからと言って、それに甘えていてはいけないとも思う。しかし、I can't be in two places at the same timeなのである。ばあ様に「あ、Kayちゃん来てくれたん。ああ、うれしい。心が軽くなった感じ。毎日ありがとうね」などと言われると、P、ごめん、もうしばらくそっちには行けない、と思う。面会時間が20時に終わり私が帰るときは「ちょっと寂しい感じ〜」と笑う。「また明日来るね」と手を振り、ばあ様もベッドから「ばいばい」と手を振る。お願いだから何も問題なく、朝までぐっすり眠ってねと心の中で祈る。
もっとケアフリーにならんとだめだね。しかし性格だからね、これは。ばあ様のためにも笑顔でいられるようにしないと。