すんごいおもしろくて一気に読んだ。

日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)

日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)

私が渡米した16歳のときにこういう本を読んでおけばなあ。ま、バカな高校生だったからな。私の学んだ「世界史」は、なんといってもアメリカ流世界史である。もっと日米関係についての知識があれば、日本人留学生としてもっと授業を「おもしろい」ものにできたかもしれなかった。って、そんな知的な高校生じゃなかったけどね。
本の中で、真珠湾奇襲に関し、アメリカは日本を「野蛮国から文明国に引き上げ、世界の仲間に迎え入れてやったつもり」であるのに、「飼い犬に手を噛まれた思いだった」とある。原爆投下などのアメリカによる残忍な作戦は、「アメリカのおかげで野蛮国から文明国になったくせに、そのことを感謝しない日本をもとの野蛮国に引き戻すことを目指していたとの観点から考察すれば、いろいろ思い当たるところがある」と。なーるほどねー、と読み進め、次の段落の「小柳ルミ子の離婚話からもわかるように、人間は自分が引き上げてやった(と思っている)者に裏切られると、ことのほか癪に障るものです」で、爆笑してしまった。まさかあの離婚騒動とのanalogyとは。ルミ子=アメリカ、賢也=日本。あまりにunexpectedでえらいツボにはまってしまった。
英訳も出ているようであるが(A Place for Apology: War, Guilt, and U.S.-Japan Relations)、どこの国のamazonを見てもレビューは一件もなかった。アメリカ人の感想を知りたい。
こういう本は、ずっと避けてきたような気がする。私が(心底)嫌いだと思う日本やアメリカの面を改めて見ることを強制されるし、高校留学時代に聞いたアメリカ人教師の原爆投下正当論に「言い返せなかった」場面を思い出していやな気分になるし。うー、思い出しついでに書いておく。いやだけど。
先生曰く、彼のお父さんが太平洋のどこかで戦っており、原爆を落とされ日本が降伏していなかったら、戦争が続いてお父さんは戦死したかもしれない。となると、僕も生まれてなかったし、となるとKayともこうやって話すこともできなかった。戦争が終わったおかげで、僕はKayと会うこともできた、とかなんとかいう話だった。当時の私は、むむ、なんか違う、と違和感を持ちつつも、アメリカ人から見たらそう思うんでしょうね、と妙に納得するところもあった。
なんでこういう話になったかっていうとね、その日の授業でAtomic Cafeというビデオを見たのだ。Enola Gayの中からカメラが回り、「5、4、3、2、1」とカウントダウンで投下よ。それ見たらさ、あの瞬間みんな吹き飛んだわけよね、と思って涙ドバーッよ。いくら泣くまいと思っても、止まらなかった。顔を隠してばれないようにしていたつもりだったが、クラスメートが、Kay's cryingと私の方を見て言いだし、ビデオが終わると先生に抗議。こんなビデオをKayに見せるなんて無神経だ、と。みんながワーワー言っているときにチャイムがなって授業終了。数人は、「泣かないで、あのバカ先生、許さん」と私をハグして出ていった。私はとにかく一人になりたかったので、だまって教室を出ようとしたのだが、先生に腕をつかまれ、"Let's talk"と言われた。talkって言われてもなあ、と思いつつも、"Let me go wash my face first"と言うと、「その後、絶対教室に戻ってきてくれるな」と聞かれ、OKした。で、上記の話になったっつーわけよ。あの日、あたしの誕生日だったのよね。だから余計に覚えている。なんちゅー誕生日じゃ、今年は、と思って。
うー、あのときのモヤモヤをI'm reliving it now. 都合のいい解釈してんじゃないよとか、投下後のことをほとんど知りもしないで勝手なこと言うなとか、感情論でもなんでも思ったこと言えばよかったなとか。まあ、今言ってもしょうがないんだけど。(しょうがないって日本語は難しいねえ、キュウマさん。)
こういう本を避けずにもっと読むべきだね、あたしは。