Pが、「今日はM(娘)の学校のスポーツデーだった」とメールをよこした。なんだそれは、運動会みたいなものか、と思ったとたんにお腹が痛くなった気がした。嫌いだったのよー、運動会。学校生活の中で、もっとも嫌いなイベントだったかもしれない。球技会もequally嫌いだったな。小学校5年で引っ越した先では、スポーツテストなんて日もあった。地獄だった。
運動会の前日は、「病気にならないかなあ」と結構本気で願った。徒競走もいつもビリだったし、組体操もうまくできなかったし。クラス対抗の競技だと、足の遅いあたしは罵りまくられたしね。勝とうと必死になるから、みんな。ダンスくらいはまともにできていたと思うが、もう集団でそのダンスの練習をする、ということも嫌いであった。行進だって嫌いだった。引っ越し先の土地では、小学校も中学も行進の途中で校長の前を通るとき、右手をまっすぐ斜めにあげて敬礼みたいなことさせられたよ。軍隊か。

で、いかに私が運動会や球技大会の思い出がトラウマとなっているかを延々とつづったメールを返信した。書き始めたら止まらなくなったのよ。Pは非常に驚いた様子で、Mちゃんの学校のスポーツデーはもっとリラックスして、みんなが楽しむイベントだと言う。そうあるべきよね、スポーツって。リレーとかそういう競技も当然あるが、みんな笑顔だと言う。できない子を罵倒するなんてありえないとか。そうよ、運動会がトラウマになるって異常な状況だわよね。担任の教師にどうこう言われるなんてありえんだろう。

アメリカの高校に留学したとき、体育の授業なんてお遊びみたいだと思った。女子高だったからかしらないけど、なんだか皆、先生も含めて、「本気で必死で」という感じは皆無。バレーボールなんて触ったこともないような子もいて、ラリーが続かない。体育の成績はいつも最低だった私であるが、ボールを受けるくらいはできた。バレー部の子に、「Kayはレシーブできるから、前にいるジェニファー(バレーをしたことがない)のカバーお願いね」と言われる始末で、「バレーの試合であたしが頼りにされる?この状況はおかしいだろう」と苦笑してしまった。サーブは一本も入らないんだけど(とほほ)、入らなくても、見ている人たちからは、「ナイストライ!」と拍手がくるのよ。えー、日本じゃ「もう、へたくそ!」と怒鳴られてましたが。なんかこう、雰囲気がencouragingで、positiveなのよね。新鮮だったわ。

クラブ活動にしても、varsityに入れるようなスキルがなくても、ただ単にバレーが好きとか、バスケットが好きっていうだけ、とても上手とは思えないような子達のチームも別にあったりして。下手でも自分が楽しいのなら、やるわけよ。それを嗤う人なんていないわけだし。風通しいいわー、と感心したけど、大体あたしは球技を楽しいと思ったことはないから、参加しなかったけどね。

40近くにもなってこんな昔のことを言ってるのもなんだかなとも思うけど、一つ自信を持って言えるのは、あたしは音楽や美術が得意なほうだったが、音痴の人や、絵が下手な人をバカにしたり、あざけるようなことを言ったりしたことはただの一度もないってこと。アメリカの高校でも体育の授業中に他の日本人の留学生にいやなこと言われたことあるけど、そいつが毎朝チャペルで歌う賛美歌が聞くに堪えないほど下手だというのは、一度も言わなかった。言ってやりゃよかったのか。いや、それじゃ、相手のレベルにsinkしてしまう。ま、そう思ってだまっていたんだが、しっかり25年後も覚えているっていうのは、消化してないってことかもね。言ったからと言って、こっちの気分がよくなったかどうかはわからないけどさ。

Mちゃんは、「土曜日に学校のイベントなんて」と朝は乗り気ではなかったのだが、天気も良くて気持ちのいい日だったので、案外楽しんだらしい。振り替え休日ってのはあるのかしらん。