滞在中、アルジャジーラによる、フィンランドのタリヤ・ハロネン大統領のインタビューをテレビで流していた。質問は英語ではなく、フィンランド語の字幕だった。逐一Pが訳してくれたわけではないので、全部を理解していない。ハロネンさんの答えはすべて英語だったので、理解できた。
テロのこととか、色々厳しくつっこんで聞いていたインタビュアーだが、最後の方で、人口がたった500万人ちょっとしかいないのに先進国の一つとしてやっていっているのはなんで、みたいな質問をしていた。答えは、"Education, education, education."だそうだ。さすが、世界で教育レベルNO.1の国。
Pと私は、アメリカの大学一年の数学で一緒のクラスであった。Calculusだったのだが、Pが言うには、あれは高校のときにやっていたので簡単だったらしい。楽勝でAを取っていた。私は必死で勉強してかろうじてBだった。もし私が日本の高校を出ていたら、既に学んだ内容だったのかなあとふと思った。
私はアメリカの高校時代、自分ではものすごい量の勉強をしたと思っていたのだが、それは勉強した時間が長いだけかな、と最近思う。それも英語が不自由であるがために。一応プレップスクールであったし、なんやかやと勉強をさせる学校であったとは思う。だが、大学へ進み、さらに勉強が大変になると、なんとなく"There are better high schoolsだよな"と実にしらけた思いを母校に持つようになった。まあ、卒業時点で「もうこの環境にはうんざり」って心底思ってしらけていたので、「さらにしらけた思い」と書くのが正しいかも。
Anyways. 高校では、歴史や文学などの非理系クラスがやたらと大変だったので、数学など、requirementだからと言われたクラスの内容が「これは、中学校でやってますが」というようなものでも、息抜き用として素直に取ってたんだよね。今考えれば、もう少し向上心があってもよかったもな、と思うが、当時はまじで余裕がなかったので、「一個くらい、何も考えずに楽にAが取れるクラスを取らせてくれ」と思ってしまった。まあ、もともと数学が嫌いだったので、もっと難しいクラスを取りたい、などという発想がでにくい思考回路だったんだが。
クラスにgeometry, algebraなどという名前がついているので、日本の成績表を見せて数学I、IIなどと書いてあったも認めてくれなかったような記憶が。でも、transcriptにはそのクラスの内容も訳してあったはずなんだがな。まあ、こういう留学生に対する諸々のmattersをものすっごくいい加減に扱う学校だったので、なんかだまくらされた感もある。どれくらいいい加減ってね、最初に「お前の数学のクラスはこれ」と言われて行ってみたら、全員中学一年生であった。(そのときあたしは16歳。)だが、渡米2日目で英語がわからないので、とまどうこともあったりするわけよね。だが、数字は万国共通じゃ。どういう問題を解いたかは忘れたが、私があまりに簡単に解いていくことに教師が気付いて、翌日からAlgebra Iへ変更。だが、これがまた中学生レベルなわけである。方程式とか。まじ、と思ったのだが、なんせ英語がわからない。先生の言っていることがわからない。でまた、この先生というのが、学校出たばっかりの新人の男。こいつ、中間試験後の成績表に、私の授業態度がなっとらん、英語が下手、と書いてきた。こんな簡単な数学のクラスでアホウ扱いされ、英語がわからないゆえに反応が遅い私の授業態度がなっとらんとは、と情けなくて寮の部屋で泣いたわ。だが、そいつにとって授業態度は悪かったかもしれんが、テストの結果はいいわけである。簡単だもの。で、次の学期は別の先生のAlgebra IIへ変更。ついでにこの新人男、クビになりおった。英語がわからないなりにも「こいつはどこかおかしい」と思ったが、それはアメリカ人の生徒、学校側も思っていたらしい。アメリカでは変な教師はあっさりクビにするのね、と感心した。
Algebra IIにしたって、「日本で習ったことの復習だなあ」という感じだったのだが、中には知らない内容もあったので、まるっきりムダではなかった。それに今度の女の先生はとてもよかった。丁寧でpatientでフレンドリーで教え方も上手だった。もう、新人男とは雲泥の差。比較するのも彼女に失礼なくらいだ。で、その彼女に「math competitionっていうのがあるんだけど、そのmath teamのメンバーにならないか」と誘われた。この数学嫌いの私がmath teamにっ、ともう内心爆笑してしまった。まずは州大会があり、それで上位3位になれば、全米大会があるらしかった。なんかよくわからんが、やってみようか、と参加。10人くらいのチームだったかなあ。そのうち日本人留学生は私も含めて三人だった。放課後に先生の部屋に集まって、数学の練習問題をひたすら解いていくのである。とほほ、geek街道まっしぐら。competitionが近づいた時期だけの話で、毎日これを一年中やっていたわけではない(できますか、そんなこと)。で、その年の結果は州4位であった。女子ばかりのチームでで4位というので(女子高だから)、extraのお褒め言葉をいただいたことを覚えている(女が数学できたからどうだっちゅーんじゃ、と今なら思うけどね)。3位にはなれなかったので、全米大会には出られなかった。まあ、ここまで健闘したのは、のちにアイビーリーグやMITにすんなり進学したメンバーがいたからだったと思う。あたしは足を引っ張ったに違いない、と今でも思う。2年目も出場したが、入賞すら出来なかったな。この年のメンバーは半分がアジア人留学生だった。3年目はもう辞退した。その年のメンバーは、ほとんどがアジア人留学生だった。米国における数学教育、今はどうなってるんでしょうな。
そんな感じで「Kayは数学が得意」と大きな勘違いをされてしまい、私自身、「米国における数学のクラスはちょろい」と思っていた。で、大学に進んで数学のplacement testを受け、工学部のrequirementであるcalculusのクラスへ入れられたときも、「大学だから高校のときみたいに楽勝ではないだろうけど、ま、なんとかなるっしょ」と甘く見ていた。だが、アホな私は、ご丁寧に秋学期にこのクラスを取った。他の生徒は、ほぼ全員工学部の1年生。理系な人たちである。平均点が高い。「えー、アメリカにも数学を得意とする人がっ!」と思ってしまいました。で、おまけにどのテストもささっと終わらせてささっと帰ってしまうPと知り合いである。「私はバカかもしれない」と真剣に思ったね。
general educationのrequirementとして数学のクラスが一つだけ必要だった私は、このクラス以外は数学は一切取らなかった。次の学期からのcalculusはPにとっても新しいことだったらしく、あれはまあまあ難しかった、とこの間言っていた。
なんかこう、昔を振り返ると、「勉強はした」と断言はできるのだが、じゃあ、なんでこう何にも覚えてないかね、と思うわけよ。高校時代、必死で勉強したアメリカの歴史や文学なども、ベールがかかっているみたいでもやーっとしたイメージしかない。
ま、「Because English was my second language」などと語学力のせいにしているだけであって、日本語で勉強しても、もやーっとした記憶しか残らない頭って噂も。