Annoyanceっつーか、当事者でなければ笑えるんだが。
母の大学時代からの親友、ミセスTはカナダに住んでいる。以前、母がカナダに旅行したとき、久々にミセスTを訪ねた。母に会えて大喜びしたミセスTは、おみやげにと思って買っておいたの、と鍋釜一式を母にくれたのであった。フライパン、ミルクパン、シチュー鍋、you name it. 母唖然。でも母はちゃんと日本に持って帰ったのであった。普段は非常に寛容な母であるが、この件を私に報告するときは、さすがにその非常識さにいつもの笑顔はなかった。「彼女らしいっていえばそうなんだけど」やっぱり寛容である。
そして数年前、ミセスTが来日。「あのとき、私ったら鍋なんかをあげたりして非常識なことを」と母に謝罪したらしい。一応気付いてくれてよかった。鍋があまりに気に入って、絶対他の人にも使ってほしいと思ったのだろうか。
こういう、旅先で大きなおみやげを渡す困ったちゃんがときどきいる。気持ちは大変ありがたいのだが、すっげー迷惑。だが、大半の人は、とほほと笑いながら受け取ってしまうだろう。言いにくいよなあ、よかれと思って相手はくれてるわけだし。
誰が書いたエッセイだったか忘れたが、全国を講演してまわるような人が、講演先で壷をもらうという不幸に見舞われ、新幹線の中に「うっかり忘れた」ことにした、というのを読んだことがある。ま、これは宅配サービスが普及する以前の話だが、おみやげもらって宅配料金が発生するというのもなんだかな。
私は旅の途中で生ものをもらい、非常に困ったことがある。次の目的地までに食べきれる量でもなく、ホームレスの人にあげようかと思ったのだが、そういうときに限って見かけない。くれた本人は、いいことをしたと信じきっているようなので、これがまた困るのである。悪気がないのはわかるのだが、いやーもう、困ったのである。食べ物を捨てるなんて、罪悪感を感じて非常に嫌いなのだが、必死で食べても食べ切れなかったので、「食べ物を無駄にしてごめんなさい」と思いつつも、残りは駅のゴミ箱行きとなったのであった。
physicallyにもmentallyにも相手に負担にならないおみやげを選ぶよう、私も気をつけよう、と改めて思ったわよ。