Redemption: The Stan Tookie Williams Storyクリップス
Based on a true story. It was interesting because I knew nothing about the guy. LAのギャングの元ボスで、4人を殺害した死刑囚。刑務所で心を入れ替え、暴力では何も解決しないと気付き、子供達にそれを教えるべく絵本を次々と出版。その貢献からノーベル平和賞に二度ノミネートされる。現在も死刑囚として服役中。
Ray Charlesを演じたJamie Foxxが他でどういう演技をするのが見たかったので、内容をよく確かめもせずに借りてみた。He wasn't bad. 映画としてものすごく感動したわけでもないが、自分を守るためには暴力しかないと思ってしまうような環境で暮らす子供達が存在するということを知らしめるだけでも意味がある映画かもね。Williams 氏のサイトはこちら

この映画を見て思い出したことがある。14年前に大学を休学し、英会話学校でバイトをしていたときのこと。その前の年の夏休みにも働いたことがあり、そのときのクラスに製菓メーカーで働く26歳の男がいた。会社がイギリスに所有するゴルフコースのスチュワードとして赴任するとかで、英語を習いに来ていた男である。気さくな良い人であったが、それほど良い生徒というわけではなかった。夏休みが終わって私がアメリカに戻った後もたまに手紙をくれ、しばらくするとそれはイギリスから投函されるようになった。内容の詳細は忘れたが、英語がわからないから大変、でもなんとかやっている、というようなものだったと思う。何度かやり取りをしたが、じきwe lost touch.

そして翌年、1年休学して働いているときのこと。ある昼時に突然彼が学校に現れた。一時帰国しているとのことで、もしかして私がいるかなと思って寄ってみたという。おお、久しぶり、と初めは普通に話していたのだが、すぐに私はこの男を軽蔑するようになる。

典型的な短期外国生活者の口ぶり。26になって生まれて初めて親元を離れ、外国に住み、自分がものすごいことを成し遂げたつもりになっている。自信をつけるのはかまわないが、単なるうすっぺらな自慢話で、聞いているほうが恥ずかしいような外国生活の話題が次々とでる。「日本人って、どうしてロンドンまで来てブランド物を買い漁るんですか。住んでいる僕には理解できないな」云々。外国に住んでいると、日本人をdetachedな視点から見るものだし、バブルの時期であった当時、ブランド物を買い漁りにヨーロッパにたくさん日本人が行って、見苦しい光景が繰り広げられたのも事実なのだろう。だが、イギリスに行ってまだ1年も経っておらず、日本の会社で日本人といつもつるんで行動し、まともな英語を話すわけでもない人間が(He couldn't carry a conversation with me in English)、いかにも自分は彼らより上であるという口ぶりが滑稽であった。
「やれやれ」とため息をつきながら聞いていた私だが、次のコメントで、この男の圧倒的な教養の無さ、人間性の下劣さを発見する。
「なんでKayはアメリカに留学してるの?あんな犯罪が多いのは、やっぱり黒人がいるから?」
唖然として一瞬言葉がでなかった。「なにそれ。犯罪を起こすのは皮膚の色とは関係ないでしょう。人種差別的なことをいうのはやめてよね」とようやく返した。すると、目を泳がせながら、「僕はアメリカってまったく魅力を感じないなあ」などと言う。私がこれ以上あなたとの会話は望まない、という態度を取ったのをこの馬鹿も感じ、じゃあ元気で、と帰っていった。塩まきたかったね。
こういう馬鹿が想像できないくらい、アメリカには貧富や教育の差があり、こういう馬鹿のような肌の色だけで差別をするという人も山ほどいるため、犯罪を起こさない人までが有色人種だというだけで不愉快な思いをすることがある。「黒人だから犯罪を起こす」という発想自体がまったくもって信じられない。この男をベースに同じ発想回路で物を考えるのであれば、「黄色人種/日本人は浅はか」ということになろう。それとも、「黄色人種/日本人は無知な世界の田舎者」か。世の中には、ゴルフやって遊んでる人たち以外に、もっと凄まじい環境で生き延びることが精一杯の人がいるということを、知識としても持っていないということに心底驚いた。ましてや、イギリスに犯罪がないとでも言うのか。無知にもほどがある。
暴力やドラッグが蔓延する環境で育てば、肌の色が何色でもその影響は受けるだろうよ。ただ、タフな環境で育ったからといって、犯罪が正当化されるわけではない。犯罪は犯罪だ。映画の中で、黒人のネガティブなステレオタイプを押し付けられ、子供達はそれが自分達の姿なのだと信じてしまい、その通りに生きてしまうのだというWilliamsの台詞があった。positive role modelがいない環境で育つ子供の悲劇。だからこそ、彼の絵本や活動がノーベル平和賞候補として認められるのだろう。
いくらWilliams氏が罪を悔いていても、犠牲者の家族はそう容易に許すことはできまい。もしかしたら、Williams氏にも犠牲者の家族にも、心の平和は訪れないのかもしれないと思うと、やっぱり暴力は何も生まないのだなあ、とclicheのようだが考えてしまう。

私はこの不愉快な会話以来、バカヤのお菓子は一切口にしないことにしている。