私立高校の英語の入試問題で、戦争で亡くなった人々および戦争を生き抜いた人々に無神経・無配慮な設問があったというニュースを読んだ。その内容の不適切さに気付かない愚鈍さにあきれる。
あきれながらも、「(語り部)はその話を何回もしており、非常に話し上手になっていたと思う」という感想を「筆者」が持ったという設定であったとのくだりを読んで、学生時代のときに聞いた講演を思い出し、どきっとした。

ベトナム戦争で捕虜になったアメリカ兵の講演だった。ステージの上で、まず彼は無言で数歩歩いてはきびすを返し、また数歩歩いては立ち止まる、というのを繰り返した。なんだろうと思っていると、ゆっくりと演台のマイクを取り、「私は、今私が歩いた空間に閉じ込められていた」と語り始めた。聴衆の興味を惹く効果的なスタートだ。ヘリコプターが不時着してパラシュートで降りた先でベトナム兵に捕まり、せまい収容所の監房で過ごした経験を、その後1時間にわたり話してくれた。「非常に話し上手」である。隣の監房に入れられていた兵士が前向きにがんばろうと励ましてきたことに関して、"It was bad enough that I was caught. To make it worse, they put me next to a positive thinker."(not verbatim)と、ユーモアもうまく交えて語る彼の話しぶりは、明らかにこの話を何度もしているとわかる慣れているものだった。

入試問題の「感想文」とは違い、彼の話は「非常に話し上手」ではあったが、退屈などでは全然なかった。だが、ドラマチックな演出と感じられるような部分もある語り口に、私は興味深く耳を傾けながらも、頭のどこかで少ししらけた気分になってしまった。話の最後には、経験談を吹き込んだテープも売り出しているという一言もあった。

帰宅して、ハウスメイトに私が感じたことを述べると、彼女は"but (what he is doing) is fair"と言った。うむ。そうだよな。彼のプロっぽい口調に違和感を持ってしまったが、確かに何度も話していれば話し上手にもなるのも仕方あるまい。まとまりのない話を聞くよりも、わかりやすく、話の終わりまで関心を惹き続ける語り口の方がいいに決まっている。若い世代に戦争体験を話すことは意義のあることで、誰しもが担える役割ではない。テープを売って大金が入るわけでもないだろうし、「多くの人に知って欲しい」という思いを行動に移した結果がテープなのだろう、などと彼女を話をした。シニカルな反応をしてしまった自分を反省した。

戦争体験を話すということは、they have to relive the momentであるわけで、非常につらいプロセスなのではないかと想像する。それでも話さなければという義務感を感じるのかもしれない。話すことで心の傷が癒されることもあるのかもしれない。こんな悲惨なことは誰も経験すべきでない、戦争を二度と起こしてはならないという気持ちで話をされるのだと思うが、聞き手側に想像力がないと、この入試問題のようなむなしいことになるのかもしれない。