アメリカは今、卒業シーズンである。卒業といえば、大学時代に招待された卒業パーティーを思い出す。

スー(仮名)という友達がいた。お父さんは北カリフォルニアで会社を経営していて、裕福な家だった。専業主婦のお母さんと、実家近くのコミュニティカレッジに通う二つ違いの妹セーラ(仮名)の四人家族だった。

今学期が終わればスーは卒業というとき、彼女のお母さんから私に連絡があった。卒業パーティーを娘に内緒で計画しているのだが、私も参加してくれという。ビクトリア朝時代のアンティークの列車車両を貸し切り、そこに祖父母も含む一家全員と、スーの彼氏と友達数人を招待して、実家から大学のある南カリフォルニアまで移動するという。料理人と給仕の人付き。到着後は、五つ星高級ホテルのコッテージを貸し切り、卒業式当日は、さらに友達数人を呼んでパーティーをすると言う。

ひゃー、お祭り?マリアチバンドとかも雇うのか?たかが大学卒業にここまで?と思う私とはお金持ちは価値観が違う。

スーにはホテルでのパーティーのことだけを伝えてあったらしい。期末試験が終わってから卒業式までには結構日にちがあったため、お母さんは、「スーには一度実家に帰るように言ってあるから、一緒に車で家に来ればいい」と言う。私も初めはそうしようかと思ったのだが、夏学期にも講義を取ることにしており(私はまだ3年生)、それが始まる前に引っ越すことになっていた。ばたばたと忙しい。そこでお母さんに、列車の旅は私は抜きにしてもらって、こっちのホテルでのパーティーだけご一緒させてもらえないかと手紙で聞いてみた。すると留守電に彼女からメッセージが入っており、「車両をレンタルするのに大金を既に払ってるんだから、参加してちょうだい」と言う。いくらだったかは忘れたが、具体的な値段も言っていた。1万ドル近かったかな。覚えてない。そりゃプランするあちら側にも都合はあるだろうから早めに連絡したのだが、招待客に値段まで言うところがなんだかなあと思った。私は前から彼女が苦手で、その理由のひとつがお金のことを言いだすことだったのだ。スーにはそんなところは一切なかったので、初めて会ったときは少なからず驚いた。ともかく、じゃあスーと一緒にはそちらへは行かず、あとから飛行機で行く、ということにした。あ、当然飛行機代は私持ちね。

試験が終わると、何も知らないスーは「じゃ卒業式でね」と言って実家へ戻り、私は引越し準備に追われた。ばたばたしながら式の前々日だったか前日だったかに飛行機に乗って彼女の実家へ。いきなり現れた私に、えー、どういうこと?とスーはわけがわからないながらも喜ぶ。彼女の祖父母、恋人、列車の旅に参加する彼女の高校時代の友達二人も合流し、全員集合である。

移動日当日。まず朝早くから白いストレッチリモのお迎え。スーは目を丸くしている。ハイになっている皆の中で、なんという騒ぎだと少々しらけ気味の私だが、wet blanketになってもなんなので、一緒に明るく振舞う。駅に向かう高速道路で、リモの窓を開けて周囲に手を振ってはしゃぐスー。私にも手を振れというので、「ほら、あたしJapanese princessよ」と言って、隣を走る車に手を振るピエロな私。皆さん、笑いながら振り返してくれんのよね。「あー、サービス精神旺盛なあたし」と思いつつ、きゃーきゃーと騒いで皆にあわせる。

駅につくまででどっと疲れた私だが、これからまだとてつもなく長い鉄道での旅が待っているのだ。予定は9時間。車で行けば5時間の距離なのに、どういうことだ。これが私にとって初めてのアムトラックの旅で、なぜそんなに時間がかかるのかが理解できない。動き始めて理由がわかるわけだが、これは後述。

続く。