テレビで、日本のバイリンガル教育のことをやっていた。教師はアメリカ人で、英語で授業を行う小学校ができたらしい。息子を通わせている親が、「英語ができれば、医者になろうがスポーツマンになろうが、外国に行ってできる」みたいなことを言っていた。こういうのを見ると、胸がもやもやーっとしていやな気分になる。

いやな気分になる理由を延々書いては消しを繰り返して長時間経つ。どうもね、高校からアメリカ留学させてもらった私が、日本に住みながら子供に英語を習得させようとしている人たちに「英語は中学からでいい」と言うのも、説得力に欠けるわけよ。

ただね、英語さえできればこの子の将来は明るいとでも言わんばかりの部分にもやもやを感じるのだ。そりゃ英語ができれば便利ですよ。言葉は道具で、それをうまく使えれば便利だもの。でも英語ができることを非常に特別なもののように扱う傾向に違和感を持つ。「英語ができない」とものすごく劣等感を持つ人と、「英語ができる」とものすごく優越感を持つ人(ほんとにできるかどうかはまた別のお話)が目に付き、「普通の人はおらんのか」と感じることがよくある。どちらも極めてめんどくさい。「できる」の定義に個人差があるのも事実だろう。

インタビューの中で、勉強が楽しいと言っていた子供がおり、それはそれでナイスである。英語うんぬんより、教師が優れているのだろうと思った。ま、楽しく勉強してくれ。投げやりなまとめ。