探し物があって、長年封印していた高校時代のものの入ったダンボールを開けた。結構勇気がいった。私の中ではtraumaになっていることの方が多い3年間であった。カルチャーショックとか、勉強の忙しさとかがどうこうとかいうよりも、集団生活が苦手な性格なのに小さい学校の寮に住んで24時間みんなと一緒にいるという生活が苦痛だった。一人でいる時間を確実に得る目的もあって、ピアノを練習しまくり、絵をかきまくり、でも人といるときには笑顔でsweet and niceにし、なんかいつも無理して芝居してんなあ、という感じであった。飛び級のあるアメリカでは3年生とはいえ17歳の同級生が多く、既に19になっていた私には「けっ、ガキが」と思うことが多かった。さっさと大学に進みたくてうずうずしていた。

ダンボールの中に3年のときのyearbookを見つけ、卒業以来始めて開いてみた。驚いた。先生、同級生、下級生がいろんな凄まじくナイスなコメントを書いている(アルバムに色々書きあうのが慣習)。これだけ読んで、smiling facesだらけの写真を見たら、さぞかし楽しい高校生活だったのだろうと思ってしまうようなアルバムだ。そんなに親しくなかった人でも、大親友のようなコメントを書いている。

私は、生徒よりも先生に気が合う人が多かった。教師と生徒の比率が1:6くらいの小さい学校だから、親しくなりやすい。文学のY先生がyearbookに書いてくれていたコメントなんて、改めて読んだら涙出た。"Thank you for your friendship"で締めくくられている。すっかり忘れてたよ、Y先生との友情を。アドバイザーだったF先生は、私の誕生日に授業を早めにやめて、近くのケーキ屋にクラスのみんな(といっても5人)を連れて行ってくれた。社会のM先生とは一番親しくて、ランチのときにいろんな話をした。ランチタイム終わっても話が終わらなくて、5時間目のクラスの先生に渡すためにhe had to write me a noteということもあった。

なんだか、当時のいやなことばかりにfocusし続けて、こういう近しい人がいたことを忘れていた。忘れていたことが悲しくてまた泣けてしまった。実際いやなことがあって傷になっているのも事実。でも、人間関係でtremendous amount of love and friendshipをもらっており、それを大切にしなかった自分が情けない。

当時の先生達より今の私の方が年上だ。I feel I was more grown-up when I was 19 than I am now.