アメリカに住んでいるときに食べていた米は、カリフォルニア米である。炊飯器をずっと持っていなかったので、インスタント物のライス(ベンおじさん等)も食べていた。あれはああいう米、と割り切っていたので、おいしいと思ったことはないが、死ぬほどまずいとも思っていなかった。カリフォルニア米を使うときは、鍋で炊いていた。特に毎日米を食べたいと思ってはいたわけではないが、やはり食べるとおいしいと思った。在米最後の年になって、「やっぱり鍋だと面倒なので炊飯器が欲しい」と、確か30ドルくらいで買った。「鍋で炊けるのだから無駄遣いはよそう」とずっと買わずにいたのに、最後の年になって買う愚かな私。

その後帰国して、当然ながら米を食べる機会が増えた。6年位して、またアメリカに行くことがあった。そのときに滞在した家でカリフォルニア米を使っていたのだが、そのまずさに驚いた。別に私はグルメでも何でもないどころか、結構味に無頓着な方だと思うのだが、その私が明確に「おいしくない」と感じたのだ。日本のおいしい米に舌が慣れていたのかなと分析した。おいしくないとは思ったが、それ以外に選択肢がないので食べ続けているうちに、またその味に慣れた。

フィンランドでの場合、porridge用の米がジャポニカ米なので、それを日本からPが買って帰った炊飯器で炊けば、日本のご飯と似たような感じになる。ただし、絶対に日本の米と比較してはならない。これはこれ、と別物として捕らえるべきである。

以前、ヘルシンキのとある中華料理店に行ったのだが、そこの米のまずさにテーブルをひっくり返しそうになった。ぼそぼそ、ぱさぱさ、ときにべたべた。まあ、米だけじゃなくておかずも「中華料理のように見せかけた何か」以外の何物でもなかったので、米に質を求めるのは私が間違っている。

そして数週間前、こちらで日本料理店に渋々行ったのだが(外国で日本料理店に行くのは嫌いなのだ)、そこでも「この米を日本食として出すかね」と言いたくなる質のものであった。茶碗一杯2.5ユーロくらいだった。日本食材店でアキタコマチを売っているのだから、それをちゃんと炊いて2.5ユーロというのならまだわかる。しかし、ぼそぼその割れたような米でこの値段とは、ぼろい商売しとりまんな、である。まさか寿司もあれで握っているのだろうか。
創作日本料理が売りらしいのだが、プレゼンテーションが凝っているだけで、私の「外国における日本料理店嫌い」がさらに悪化しただけであった。

「日本で食べるような米は高いからということもあるだろうが、あれをフィンランドで出しても、こっちの人はおいしいと思わないから出さないのだろうか」とPに聞いてみた。「そうかもしれない、まずいのに慣れてるから」という返事であった。

先日、P叔母のVさんちで、酢豚をごちそうになった。ヘルシンキの中華料理店とは比較にならないくらいおいしかった。酢豚は最高だったのだが、ここでも米がすごいことになっていた。日本の感覚で言うと、もはやおかゆ状態である。8部くらいのおかゆ。結構塩分がきいている。そして、テーブルには醤油が置いてある。醤油を見ている私を見て、Pが、「Don't be offended. This is how we eat rice.」と私にささやく。別にoffendedじゃないが、もう結構しょっぱいのに、さらに醤油をたらすのかと不思議であった。Vさんは当然のようにご飯の上にぐるりと醤油をたらしていた。ご飯に醤油をかけるのは、アメリカ人でもしているのを見たことがあるので驚きはしなかったが、さすがにしょっぱいおかゆにかけているのを見たのは初めてであった。

個人宅でどう米を炊こうが食おうがかまわない。しかし、米を主食とする国の料理を出すレストランで驚きのまずいご飯を出すのは、「どうせわかりっこないし」とフィンランド人を侮辱しているような気がする。Pにそう言うと、「でも実際わかってないから」とドライな返事であった。

今度、韓国料理店に行くことになっているので、また後日報告する。こわいよー。