母の古くからの友人Kさんは、フルタイムで働きながら、体の弱い兄の介護をし、倒れた母親の介護も一人でした。結婚はしなかった。自分の稼ぎで一軒家を買い、母親を看取り、兄もある程度回復し、やっと自分の自由な時間が取れると思ったら、彼女自身も色々な病気になってしまった。苦しい思いもし、大変な病状だったこともあったのだが、比較的症状も落ち着いて、パソコンを習いに行ったりするまでお元気になられた。ずっと一軒家で一人暮らしというわけにもいくまい、と、数年前に家を処分し、今は老人福祉施設に入って暮らしている。なんという自立したかっこいい女性なのだろう、と以前から尊敬している。
施設での暮らしは、看護師も常駐しているし、ワンルームマンションのようなキッチネット付きの自分の個室はあるし、その面については不満はないらしい。しかし、やはり団体生活の煩わしさというのがあるとか。Kさんにまとわりついて離れない入居者が一人いるらしいのだ。寂しいのだろうが、彼女が外出先から帰ってくるのを、ロビーで待っているような人なんだと。Kさんの部屋にしょっちゅう来ては入りびたり、でも自分の部屋には絶対に入れないとか。Kさんも「迷惑だ」とはっきり言えず、困っているらしい。
その話を聞いて、アメリカの高校での寮生活を思い出した。こういう鬱陶しいべったり日本人女がいた。彼女の部屋は3階だったが、なにかと言うと2階の私の部屋にやってきた。やってきて何をするかと言うと、ゴミ箱をチェックし、例えばスニッカーズなどのお菓子の包み紙が入っていると、「これ、いつ食べたの」と聞く。わー、出た、と思いつつ、「放課後」と答えると、「しっかし・・・」と苦笑しながら頭を左右にふるのである。意味わからんでしょ。これは、「スニッカーズを校内の自動販売機に買いに行くときに、彼女を誘わなかった」ということが気に入らないわけである。そして、アメリカ人や他の日本人の根拠もない悪口を言い、自分が勝手に選んだレポートのテーマが難しく、私の選んだテーマが簡単で不公平だと一人怒ってドアをslamして出て行くような女であった。
はじめのうちは、こっちも遠慮して相手になっていたのだが、あまりの幼稚さと不愉快な態度にこちらもうんざりし、彼女がノックしてもドアを開けないことにした。足をだらだらと引きずって歩くので、足音で彼女だとすぐわかるわけ。一人で行動することができず、とにかく毎日毎日まとわりつきたがる女であった。こちらとしても、あの女が翌年も帰ってくるんなら、あたしは転校したい、と親に訴えるほど嫌いだったのだが、転校したのはあちらであった。翌年以降は天国だったよ、靴についたガムがとれたみたいで。
老後、どうすっかなあ。私のような性格の人間には集団生活はつらいだろうなあ。ま、施設に入れるようなお金を貯めるのが先か。わー、眩暈するわ。