小学校4年生のとき、国語の宿題を台所の食卓でしていたら、ノートを見た母親が「なんとか的っていうのには、ほかにどんな言葉があるか調べておけ」と言った。多分そのときに「的」という漢字が初めて出てきて、それを練習していたのだと思う。先生は「〜的」という言い方をする単語をきっと聞くはずだから、調べろというわけである。母親がなぜそんなに自信を持って先生がその質問をするに違いないと言うのかがわからず、「絶対?じゃ、明日聞くか聞かないか、10円かけよう」と可愛げのない提案をしてみたら、母親はあっさり了解した。「先生が聞かなかったら、10円ちょうだいね」などと言いつつも、素直な私はちゃんと「理想的」とか他の「〜的」という言葉を調べてノートにリストしたのであった。
次の日の国語の時間、聞かれれば答えはちゃんとたくさん用意してあるので、内心「聞かないかなあ」と思っていた。ずっとドキドキしながら過ごしたのだが、結局その質問はされることなく授業は終わった。
その晩、母が帰宅すると「先生あの質問しなかったから、あたしの勝ち。10円ちょうだい」と請求し、しっかり10円をもらった。
そんな賭けをしたことはすっかり忘れた頃のある日の国語の時間、先生が「〜的って言葉にはどんなのがあるか」と聞いた。私は真っ先に「理想的」と言う言葉が浮かんだので、手を挙げて答えた(国語の時間は積極的でございました)。答えて椅子に座った直後、賭けのこととノートにたくさん「〜的」言葉をリストしたことを思い出し、左手を挙げながら急いで右手でノートを繰ってそのページを探した。なんといっても、ちゃんと辞書で調べてズラリとリストしていたので、「いくらでも聞いてちょーだい」という余裕である。準備しておいて良かった、というよりも何よりも、母親は正しかった、ということに驚いた。How did she know?である。
で、その晩、10円を母親に返したのだった。律儀じゃ。
8年くらい前からか(あたしが気付いたのが、だけど)、やたらと何にでも「的」をつける言い方が流行っているが、耳障りだなあと思うと同時に、この30年前のことを思い出すのである。あたし的にはいい思い出かも。