昨日は、財布の中にお金がなかった、という話だったが、財布がカバンになかった、という経験も一度ある。これは単に愉快なサザエさんと同じことをしてしまった、というだけの話。

ある日、いきなり「ピロシキが食べたい」と思い、閉店間際のデパートへ自転車で向かった。「ピロシキピロシキ♪」と思いながら、地下食品売り場へダッシュ。ほほほ、まだ残ってた、と注文をし、カバンから財布を取り出そうとしたら、無い。店員さんはもう紙の袋に商品を入れ始めている。カーッと顔に血が上るのを感じながら、「えー、すみません、お財布忘れました」と申告。そのお兄さんは、片手に紙袋、片手にトングを持ち、半分笑顔で「え?」言って固まっている。「すみません、やだー、あたしったら、財布忘れちゃったので、それいいです。すみません、ごめんなさい」と頭を下げて、私はその場を足早に立ち去ったのだった。

ピロシキはともかく、紙袋は油で汚れただろうから、捨てるしかなかっただろうな。すみません。

急いで自転車を飛ばしたというのに、何の成果もなく帰宅。単に運動しただけの結果となった。

財布を忘れるというのは、私が幼稚園くらいの頃、母もしでかした。なぜかとてもビビッドに覚えている大きい病院のロビー。確か、私の首のリンパ腺に丸いグリグリしたものがあって、驚いた母親が知り合いのY先生の働く病院へ私を連れて行ったときのことだった。Y先生は、私の幼稚園のひろこ先生のお父さんだった。白衣を着た彼に首を触られたのも覚えている。結局なんでもなかった(今でもそのグリグリはある*1)。
診察の後、父に迎えに来てくれと電話をしようとした母が、財布を忘れていたことに気付いた。どうしよう、と笑いながらもアチャーという顔をしている母の顔も思い出せる。窓際に公衆電話が並んでいて、窓をバックに母が私の方へ振り向いた。私はまだ小さいから母を見上げる視線。なんでこんなことを覚えているのだ。そこで私は「タクシーで帰って、家に着いてから財布を取りにいけばいい」と提案したのだ。そうだそうだ、と母は喜び、私達はタクシーで帰宅。病院から近いところに住んでいるから出来たことだわね。
家に着いたとき、母が運転手になんと言ったかまでは覚えていないが、後部座席から、母が家に走って入る姿を見たのは覚えている。今考えると、それはまるで、ただ乗りしようとしてるんじゃないという証拠に、娘を後部座席に置いていきますから、という感じではないか。I felt so abandoned.なんて嘘。何を感じたかは覚えてない。
病院の支払いはどうしたのだと思うのだが、財布を忘れたというのだから、払ってないのだろう。この点については謎。後払いか。

*1:グリグリとしか表現できないこの語彙の貧困さはどうだ