小学2年生相手にパイプ椅子を投げるなんていう60近くにもなった教師ってのは、やはりどこか頭がおかしいのだろうか。突然激昂するような脳の障害があるらしいが、病気なのだろうか。ならばさっさとseek treatment. 人にものを投げつけるような野蛮な人間が教育現場にいてはいけない。
私は普通の公立の小学校に行ったが、良い先生だったと言えるのは、小学校低学年のときの先生だけだ。他は、言葉の暴力、体罰なんてざらの、今思えば人間性を大いに疑ってしまうような大人であった。小学4年のときのある放課後、担任である30代の男性教師Hの机を囲んで、5、6人の生徒が集まっていた。誰か一人の生徒が何かHの気に障ることを言ったのか何か知らないが、とにかく突然Hは怒鳴りながら立ち上がって、手が届く範囲の生徒全員をこぶしで殴りつけた。私も顔を殴られて吹っ飛んだ。とにかく何が起こったかわからない。その場にいただけで殴られたのだ。私たちはただただ驚いて、恐くて、わーわー泣きながら外へ逃げた。体育倉庫の裏に隠れて、みんなで泣いた。その夜、Hは家庭訪問に来た。何を言われたのか忘れたが、玄関先で私に頭を下げて謝ったのは覚えている。私の親が何を言ったかも知らないし、この男が何か学校側から注意を受けたのかどうかも知らない。私の人生で、誰かに顔を殴られたのは、この一回だけである。
5年生で他県に転校した。広島の小学校では制服はなかったが、転校先にはあった。転校した年の夏、制服の一部である白い帽子をかぶらずに行った。いつもかぶっていない女子もいたので、制服さえ着ていれば、帽子は特にかぶらなければならないものではないのかと思ったのだ。その日、担任の男性教師Wは教室に入ってくるなり、帽子をかぶってこなかった女子は立て、と怒鳴った。やだなあ、と思いつつ立ち上がると、なぜかぶってこなかったのかと一人一人なじる。私の番になると、「広島の学校では制服はあったんか」と聞くので、「ありませんでした」と答えると、「なら、広島へかーえーれ!」と言われた。わかるかな、この感じ。「帰れ」じゃなくて、嫌味な感じにのばして言うのだ。帰れるものなら帰りたいです、と答えたかったのは覚えているが、言えるはずもなく、ただだまっていた。あの頃、「軽蔑」という言葉を知っていれば、私がこの教師に持った感情を的確に表すことができたろう。こういう理不尽な叱り方をして、子供が言うことを聞くと思うのか。ターゲットは私だけではなく、大阪から転校してきた女の子もいやな叱られ方をされていた。彼女が分数の横棒を定規を使って書いてなかったことが気に入らず、Wは「大阪と違って、ここでは定規を使って丁寧に書くんじゃ!」と怒鳴ったのであった。要は、よそ者が嫌いってことなのか。Wは何かと大声で怒鳴りつけるのが日常茶飯事であった。子供を恐がらせて言うことを聞かせようとする、臆病者であった。
私が通ったアメリカの高校は、中学・高校が同じ校舎にあった。7−8年生(中一と中二)に社会を教えていたM先生と親しかったのだが、子供っぽく反抗的で手のかかる生徒もいて、ある日の放課後教室に寄ったら、はー、今日はsome of the girlsに手を焼いて疲れた、とため息をついていた。言うこと聞けーって怒鳴っちゃえば、みたいなことを私が言うと、彼は、「でも、大人として、大声を出さずとも指導する力が自分にはあると思いたい」と答えたのだ。なんと!これを聞いて、そうか、日本でやたらと大きな声を出していた教師というのは、指導力がなかったってことよね、と目からうろこであった。怒鳴れば、などと半分冗談ではあったが、そんなことを提案した自分が本気で恥ずかしかった。怒鳴られながら教育を受けるとこういう発想になるのね。
38の私が、こんなに詳細に小学校の頃の出来事を覚えているのも、これらが強烈にいやな思い出だからである。このパイプ椅子教師のクラスの子供たちも、一生こいつのことは忘れないんじゃないかね。