日本のバレンタインズデーは、女性が男性にチョコレートなどを渡すというイベントになっているが、アメリカでは恋人、夫婦はもちろん、家族でも女友達同士でもなんでも、男女の関係無く、自分の日ごろからの愛情や友情を表現する日になっていて、あたりには愛が満ち満ちている。
日本で中学生をしていた頃は、製菓会社の陰謀に乗ってたまるかと市販のチョコレートは意地でも買わず、自分でクッキーを作って学校に持って行き、ただの男友達には星型、つきあっていた男にはハート型のクッキーを渡したりするなど、立派に「女の子」の役割を演じていた(信じられん)。
高校に入りその男とは別れ、かといって好きな人も出来ず、確か友達同士でお金を出して、義理チョコを大量に買ったような記憶がある。そういうことをするのは好きではなかったのだが、みんなと仲良くするには同じことをしなくてはと、周囲にあわせまくっていた時期であった。
で、16で渡米し、初めて迎えたアメリカでのバレンタインズデー。その日、授業を終えて寮の部屋へ戻ると、カードが1枚ドアの下からすべりこませてあった。なんだろうと思って開けてみると、隣の部屋のマーガレットからであった。"Happy Valentine's Day! You are a great neighbor!"と書いてあった。ほーー、アメリカではこういうことをするのかー、と感心し、とても嬉しかった。必ず笑顔でいつも"Hi, Kay"と挨拶してくれ、絵が飛びぬけてうまい彼女を私は好きだった。お礼を述べた記憶はあるが、何かをあげたとかそういうことをしたのかどうかは覚えていない。元気かしらん。
それ以降のバレンタインズデーは、みんなに習って、careしている人にカードを送ったり、花をあげたりした。ナイスな慣習だと思う。
高校3年のときのバレンタインズデーで、朝の礼拝の最後に牧師(30歳くらいの冴えない男)が、今日はバレンタインズデーだからみんなにキスをあげたいと思う、とのたまった。一瞬ぎょっとした私たちであるが、牧師は「でもそれは無理なので、KISSのチョコレートをあげます」と、Hersheyのキスチョコをみんなにくれたのであった。こいつちょっといいやつだな、と思った。
大学時代、ある日仲良くしていた女友達からバレンタインのカードが送られてきた。開けたらカードと一緒にconfettiが山ほど入っており、あたり一面カラフルな紙きれだらけ。ありがたいが、ちらかるじゃないよとぶつくさ言いながら掃除機をかけた私であった。
つきあっていた男から観葉植物をもらった年もあるが、あっという間に枯らしてしまった。Symbolic, that was.
帰国して仕事をするようになり、いつのまにかホワイトデーなるわけのわからないものも出来ていて、オフィスでは日本流のバレンタインをしたい人が勝手にやれば、と思っていた。だが、イベントだいだいだい好きな秘書が私のデスクに来て、チョコレートを買っておいたから500円払えと言ったとき、私は心底驚き、「そういうのはやりたい人がやればいいんじゃないの」と答えた。いやそりゃ、たかが500円だが(でもオフィスの連中にだと思うと結構高いと思った)、お金のかかるものを、勝手に他人を巻き込んで行うというその神経に本気で驚いたのよ。「あなたならそう言うと思ったわよ」と言い、ドシドシと歩み去る彼女の太い足を見ながら、「ああ、日本じゃハーモニーを大切にしてあわせなきゃいかんのだよなあ。これが嫌いでアメリカ行ったようなもんなのに、外資でもこういう女が一人いるとこういうことになるわけよね」と思い、あとで500円払ったのだ。それはだね、一人ひとりに渡すチョコレートが用意されていたわけではなく、コーヒーメーカーのそばに、色々なチョコレートを入れたバスケットを彼女は置いていたので、誰でも食べてよかったわけよ。ならばあたくしもいただくわ、と食べまくったわけでございます。
その次の年のバレンタインの日にもこの秘書は同じことをした。前の年にはいなかった在米経験のある女性が私のところに走ってきて、「ちょっと500円払えっていうのよ、信じられない!」と怒っていて、やっぱりそう感じるよなあ、と可笑しかった。「そうなのよ。でもバスケットに入れてあるから、自分の食べる分を払うと思えばまだ我慢できるわよ。」と説明したが、彼女はしばらく秘書を罵っていた。気持ちは200%理解できた。
まあ色々なバレンタインを経験しているが、お祭りとしてさわぐだけじゃなく、本当に愛情とか友情に感謝する日になるといいですな。